■見えない金利の罠
昨日、企業の管理職の人たちを対象にして、「個人が主役の時代におけるビジネスマンのあり方」という話をさせてもらいました。
私の伝えたいメッセージは、もう雇われ人(エンプロイー)根性を捨てて、企業という仕組みを活かすアントレプレナー(起業家)になろうということです。
そうして、社会を壊わしだしている金融主導の経済システムを変えていこうと呼びかけたかったのです。
このことをホームページ(CWSコモンズ)に書いていたのですが、これは時評編に書いたほうがいいと思い、同じような内容ですが、少し書き足して、ここに掲載することにしました。
お金のために働く状況からどう抜け出すか。
それが大きな課題だと私は思っています。
それに関しては、このブログでもいろいろと書いてきました。
しかし昨日話したのは。私たちはお金のために働いていることに気づいていますか、と問いかけさせてもらったのです。
お金をもらうためという意味ではありません。
お金が要求する利子のためという意味です。
そのことを少し書こうと思います。
金利負担しているのはお金を持っている資産家だと私たちは思いがちですが、むしろ貧しい人ほど相対的には金利負担をしているのが最近の金融資本主義の実態です。
消費者金融からの利子などという話ではありません。
また規制がわずかに厳しくなりますが、焼け石に水と言うか、むしろ犯罪者たちと金融業者を喜ばすだけの犯罪助長策でしかありません。
これを書き出すとまた長くなりますので、今回は止めます。
今回のテーマは「お金がお金を生み出すこと」が構造化されている今の経済システムの話です。
「お金が取り込む利子」が現実には見えない形になっているのです。
スーパーで200円のキャベツを買うとします。
キャベツの原価を調べていくと、そこに「金利」の項目が隠されていることに気づきます。
農家は生産のために施設や機械に投資しますが、その投資のために融資を受けます。
その金利負担が農家の生産費にはしっかりと含まれています。
スーパーは店舗建設のために融資を受けていますが、その金利もまた原価に反映されています。
そんなことは当然だと思うかもしれませんが、もし金利がゼロであれば、つまりお金がお金を生み出す構造をなくせば、金利分だけ価格は安くなります。
言い換えれば、金利分は消費者が負担しているわけです。
キャベツの価格の、どのくらいの割合が「お金の収奪される利子」になるかは正確にはわかりませんが、かなり大きいはずです。
もっとわかりやすいのはガソリンです。
ガソリンにかかっている税金のかなりの部分が、国家が借金している分の金利に取られています。
もし国家の借金の金利がゼロであれば、税金はもっと安くなるのです。
こうした金利がどこに行っているかといえば、お金を持っている人に行きます。
ですからお金をたくさん持っている人は働かなくてもお金はどんどん入ってきます。
これが今の経済の構造です。
農業の例で言えば、農協は日本の農業を工業化してきました。
そして農家に農薬や化学肥料、さらには機械を売り込みました。
つまり「お金のかかる農業」に育てたのです。
「お金のかかる農業」は一見、「お金を稼ぐ農業」でもあります。
しかし同時に、「利子を負担させる農業」でもあるのです。
そうしてお金は何もしなくても自然と利子が入ってくる(お金を生み出す)仕組みをつくりあげたのです。
もし金利がゼロになれば、つまり貨幣は単なる交換手段だと位置づければ、経済はまったく違ったものになります。
まさに生きるために必要な、サブシステンスな活動が基軸に置かれた経済が構築されるでしょう。
お金がお金を生み出すなどという不条理なことはおきません。
そして持続可能な経済が実現できるでしょう。
もともと経済とは持続可能なものなのです。
金利などというおかしな概念をなくせば、経済の構造はまったく変わります。
私たちが、お金のために働いていることがわかってもらえたでしょうか。
貧しい人ほど、生活していく上で日常的に金利負担をしているのです。
その結果、生活の困窮した人が、消費者金融やヤミ金融の餌食なるのです。
これは決して別の話ではありません。
巧妙に仕組まれた構造です。
そこから少しでも抜けだしたくて、私はお金をできるだけ使わないようにしています。
お金を使うことが、高利貸しを利することになるからです。
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