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2010/05/13

■節子への挽歌984:死者が残すもの

節子
神に愛でられたものほど早く逝く、といいます。
それが本当だとすると、いまなお残っている者は、神には愛されていないことになります。
そう思いたくないので、この言葉には、生き方を問い直す効用があるかもしれません。
たしかに人の死は、自らの生き方を問い直す契機になります。
少なくとも私の生き方は変わりました。
それなりに神に喜ばれようとしています。

しかし、こうも言えます。
彼岸に旅立った人たちは「良い思い出」だけを残された者に置いていくのです。
残されたもののために、悪い思い出はすべて背負って旅立つのです。

節子から聞いた話だと思いますが、旅立つ人は、みんなの悪いものをすべて持っていってくれるのだそうです。
節子もそうだったのでしょう。
だから、節子がいなくなっても、家族みんなが何とか支えあって暮らせていられるのかもしれません。

しかし、何が良い思い出で、何が悪い思い出か。
少なくとも伴侶の場合は、良いも悪いもありません。
伴侶に限らず、愛する人との思い出には「良い」も「悪い」もないでしょう。
でもどこかで無意識のうちに美化されていることは否定できません。

この数日、そんなことをずっと考えています。
思い出は変化するものだということです。
過去は変わらないと人は言いますが、そんなことはありません。
過去もまた生きているのです。

誰かを見送ると、自分の世界が変わります。
世界が変わると気づかないうちに生き方も変わります。
それはいいのですが、同時に、それまでの自分への嫌悪感が生まれてくるのがやり切れません。
私が残された理由に気づかされるのです。
死者への弔いは、結局は自らのためなのです。
感謝しなければいけません。
これまで逝った多くの人たちに。

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