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2010/05/24

■世界をしっかり見ることの大切さ

先日、ビジネススクールで、「社会的起業」に関する話をさせてもらいました。
そこで今の日本の社会は壊れてきていると話をさせてもらいました。
話し終わった後、何人かから質問と意見をもらいました。

そのなかに、
今の日本に自殺しなければいけないほどに困っている人が本当にいるのか
というような発言がありました。
この人は、おにぎりを食べたいと書き残して餓死した人のことをどう受け止めたのでしょうか。
いささか感情的になってしまい、私の周りには何人もいます、名前を挙げろといわれればすぐにでも挙げられますといってしまいました。
ちょっと大人気なかったですが、そうした性向はどうしても直せません。

しかし、新しい事業を起こそうというのであれば、あるいは事業を経営しているのであれば、その社会の実態くらいは知っていてほしいものです。
キャノンの御手洗さんのように、一方ではきれいなことを言いながら、自分の会社では人を解雇し自殺に追い込むような二枚舌のような人間は私には許せません。
そんなことまでして生きる価値があるのかとさえ思います。
少なくとも、会社を経営するのであれば、現場を知らなければいけません。
それをしないでいくら知識を学んでも意味がないと私には思えます。
しかし、そういう人が多すぎます。
そしてそういう人こそ、システムが望んでいるのです。

主体的に判断するには2つのことが不可欠です。
まずは判断する主体。そして判断する環境です。
判断は環境の中で行われますから、環境と無縁の判断はありえません。
ですから主体的な判断のためには環境をしっかりと認識し関係を創っておくことが大切です。

私が21年前に会社を辞めて、地域社会にささやかな接点を持ち始めた時に感じたのは、みんなそれぞれの小さな世界に閉じこもって、社会全体が見えなくなっているのではないかということでした。
企業にいては見えてこなかったさまざまなことを、会社を辞めたおかげで気づかされました。
しかしどこかに属した途端に、10年もすればまた他の世界が見えなくなってしまいがちです。
そんなことからこの20年、定職もない生活をしてきましたが、それこそが「社会を生きること」なのだと思っています。
開き直りなのかもしれませんが、そうした生き方が、いまは身についてしまいました。

みんなもっと社会の実相を知ってほしいものです。
社会の実相を知れば、必ず言動は変わります。
それぞれの小さな世界に閉じこもらずに、どんどんと世界を広げていくといろいろな風景が見えてきます。
みんなの世界がそうやって重なっていくと、きっと世界は平安になっていきます。
それにはまだまだ時間がかかりそうですが、そういう生き方をしようと思えば、すぐにできることでもあります。

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コメント

自死や壊滅的な人生というものとは一生縁無いような感じの人はいますが、それもシステムの一環なのかな、とも思います。生死が受動的であることと中途から主体的責任に転化していくところがシステムの一環であるようにも。
人為的に加工しすぎてそれが自己目的化してシステム社会になって、システムを国から代行サービスするだけのような発想が大半のように感じたりします。
自分のことはわからないが他人のことはわかる、というところで死も同じ側面を持つのかと思いますが、自分としては最後にはわけがわからなくなるのが死で、他人も当事者としてはそうなのでしょうが、外側から幻想をはりつけて意味を持たせるのかも知れません。自他に関わる人間の認識の非対称性と幻想。
基地問題も郵貯もシステム経済から別のものに抜けていかなければならないのでしょうがダム廃止も含めて代替案がないのだろうと思ってます。しばらくは国防や政府の不手際が話題になるのでしょうが、結局そこに回帰せざるを得ないのではないか。
新自由主義というのは二つの全体主義に対するカウンターだったわけで、それも駄目だという風に少しは進んでいると思いたいところもあります。

投稿: s崎 | 2010/05/25 00:50

こういう場では議論するのは難しいですが、取り合えずの私見です。

>基地問題も郵貯もシステム経済から別のものに抜けていかなければならないのでしょうがダム廃止も含めて代替案がないのだろうと思ってます。

これに関してはこのブログでは何回か書いていますが、代替案はいたって簡単です。
難しいと思わせるのは権力の常套手段です。
簡単だと考えたほうがいいです。
基地は撤去、郵貯はコモンズ化です。
アメリカ資本をのぞいては、みんなそれを望んでいるように思います。
どう実行するかといえば、それも簡単です。
ダム廃止に典型的なようにやればいいだけです。
動き出せば50年で変わるでしょう。

>新自由主義というのは二つの全体主義に対するカウンターだったわけで、それも駄目だという風に少しは進んでいると思いたいところもあります。

私は2つの全体主義の集大成が新自由主義だと思っています。
いずれも「人間」を手段にしました。
民主主義を多数決主義だというようなやからも、その仲間です。
それに対して新たに出てきたのが、人間を主軸に置いた社会構想です。
それが私の認識です。
21世紀は真心の時代になるのではないかと期待していましたが、最近またその期待が戻ってきました。

投稿: 佐藤修 | 2010/05/25 07:32

最近困っているのはコモンズが見えない事です。歴史が無いわけではなく、縄文からの遺跡、伝説の地、神社仏閣はある。でも産業人はいても、コモンズがない。どこから見つけるか。

投稿: s崎 | 2010/05/26 00:18

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