■節子への挽歌992:身辺整理
節子
最近改めて不思議に思うことがあります。
節子がいなくなったのに世界はまったく同じように動いているということです。
言い換えれば、私がいなくなっても世界は今と同じように動いていくわけです。
にもかかわらず、その世界には、そのいなくなった人の痕跡が生々しくあるわけです。
そこに何か不思議さを感ずるわけです。
まあ、不思議さを感ずることなどないほど当たり前のことなのですが、昨夜、4時に目が覚めて、そんなことを考え出していたら眠れなくなりました。
何しろ私が寝ている部屋の風景は、節子がいた時とほとんど変わっていません。
クローゼットを開けると、節子の服がまだ並んでいますし、状差しには節子宛の手紙がまだそのまま残っています。
節子は、ある日、書類や写真を整理したいと言い出しました。
私は、整理は治ってから一緒にやろうといいました。
節子は少しだけ食い下がりましたが、結局は私に従ってくれました。
私たちはどんなに意見が違っても、最後はどちらかに任せる関係でした。
整理の問題は私の言い分が通りました。
節子はたぶん気になっていたでしょうが、身辺整理など始めたらそれこそ旅立ちの準備ができたなどと安堵してしまいかねません。
ですからそんなことは絶対にできなかったし、させたくなかったのです。
安心して旅立たせる方がいいという考えもあるでしょうが、私は最後の最後まで、やはり現世に未練を残し、最善を尽くしてほしかったのです。
残されるものの身勝手さといわれるかもしれませんが、その時は素直にそう思いました。
今もそれでよかったと思っています。
節子も、私のそうしたわがままさを許してくれているでしょう。
節子のものは、今もまだ家中にあります。
節子が明日戻ってきても、生活には不便はしませんし、3年前と同じように暮らせるでしょう。
でもそうなる可能性は、ゼロとは思っていませんが、限りなくゼロでしょう。
それはいいのですが、昨夜考えたのは、私がいなくなった後の世界はどうなるのだろうかと言うことです。
寝る人のいなくなった、この寝室は一体どうなるのか。
行き着いた結論は、節子と一緒でした。
身辺整理を始めることにしました。
残念ながら止めてくれる人は私にはもういません。
さてこれからしばらくは大仕事になりそうです。
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