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2010/05/29

■節子への挽歌999:新緑

節子
昨日は朝の6時から夜の10時半までパソコンに向かう時間がほとんどなく、また挽歌を書き損ねました。
一昨日から軽井沢で仕事の関係での合宿だったのですが、朝、6時からプログラムがあり、しかも夕方からは湯島でのオープンサロンでした。
帰路の新幹線で挽歌を書こうと思ったのですが、疲れていたため座った途端に寝てしまいました。

それでも新緑の軽井沢を少し歩きました。
まぶしいほどの新緑でした。
節子とはよく新緑の野山を歩きました。
特に節子の体調が回復に向かっていた時期にはよく行きました。
すべては節子の段取りでした。
ですから節子がいなくなったいまは、もう出かけることはありません。
でもこうして時折、仕事などで新緑に出会うといつもそこに節子を感じます。
節子もこの新緑を楽しんでいるだろうなと思うわけです。

私たちにとっての新緑の時代は滋賀県の瀬田に住んでいた頃です。
1年ほどしか住んでいなかったと思いますが、瀬田の神領というところで私たちは暮らし始めました。
6畳一間の「神田川」的生活でしたが、私たちの心は新緑のように輝いていたことを今も鮮明に思い出します。
休日のたびに、奈良や京都を歩きました。
何にも拘束されずに、誰にも気兼ねすることなく、毎日がとても新鮮でした。
瀬田での生活を思い出す時に、いつもに浮かぶのが、住んでいた近くを2人で散歩した時の風景です。
なにもない野原を歩くだけで私たちは幸せでした。
菜の花に囲まれた節子の写真や野原で逆立ちしている私の写真が、探せば出てくるはずです。

その生活が変わったのは、しばらくして東京に転勤になったからです。
東京に転勤した後の私たちの生活は、なぜか今の私にはほとんど思い出せません。
仕事に埋没しだしたのかもしれません。

瀬田での生活がもう少し長く続いていたら、私たちの人生は一変していたかもしれません。
東京に節子を連れてきてしまったのは最大の痛恨事です。
節子は都会好きでしたが、都会には合わない人だったような気がします。

来世は、都会には絶対に住まないつもりです。
新緑に埋もれるような生活をしていたら、節子はきっと今もまだ元気で飛び跳ねていたでしょう。
いまさら後悔してもはじまらないのですが。

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