■節子への挽歌1020:韓国は節子が好きになりそうな街です
節子
昨日は無事ソウルに着きました。
空港まで佐々木さんが迎えにきてくれていました。
ソウルは、日本の五月晴れを思わせるような、とてもさわやかな気候です。
佐々木さんに淸渓川(チョンゲチェン)を案内してもらいました。
かつてはソウル市内に暗渠されていた清流が数年前に回復されたのです。
ソウルの都心にまた川が流れだしたのです。
東京が、いや日本がだめになったのは、東京日本橋の上に高速道路をつくって、川を殺してしまったからだとかたく信じている私としては、すばらしい快挙に思えます。
まあ実際にはいろいろとあるのでしょうが、都心に流れるべきは水であって、車ではありません。
その後、ともかく節子の好きそうな露店なども並ぶ小道を歩きました。
仁寺洞という、通りです。
古風なお店もあれば、モダンなおしゃれな店もある。とても楽しい通りです。
節子ならこの路を抜けるのにかなりの時間がかかったでしょう。
節子が好きそうな商品が並んでいるなと思うお店がたくさんありました。
その後で行った、家庭料理のお店も、昔の家屋と庭を生かした喫茶店で飲んだ、ちょっと変わった飲み物も、多分節子がいたらみんなとても喜んだでしょう。
節子は佐々木さんの奥さんと一度しか会っていないと思いますが、もし節子が今も元気だったら、きっと韓国ファンになったでしょう。
佐々木さんは夫婦そろって韓国が大好きなようです。
まずは遠くから、と考えて、エジプトやギリシアなどに、私たちは旅行しました。
節子がいたら、今頃は近くの韓国や台湾に旅行先が向いていたはずです。
佐々木さんたちともっと早くに出会えればと、その順番も変わっていたかもしれません。
そうしたら、もしかしたら・・・と、発想が広がるのです。
まあ、いつになっても未練が残ります。
しかし、節子が一緒だったら、どんなに喜んだことでしょう。
そんな思いの、ソウル1日目でした。
今日は佐々木さんたちのワークショップに参加させてもらいます。
| 固定リンク
「妻への挽歌06」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌1200:節子がいない不幸(2010.12.15)
- ■節子への挽歌1199:柳原和子さんに何かあったのでしょうか(2010.12.14)
- ■節子への挽歌1198:私の仕事好きが節子は不満でした(2010.12.13)
- ■節子への挽歌1197:解けない難問(2010.12.12)
コメント