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2010/06/25

■節子への挽歌1027:「いまひとたびの逢ふこともがな」

昨日の挽歌で「異形」という言葉を使いました。
そこで思い出したのが、光瀬龍の短編「いまひとたびの」です。
書棚を探して、読み直しました。

主人公は和泉式部。
平安の世を生きた、恋多き女性です。
藤原道長からは「浮かれ女」と言われたほど噂(魅力)の多い女性だったようです。
現世の男たちとの遊びに退屈し、部屋でうたた寝をしていた彼女の前に、突然、異形の者が現れます。
彼女は問います。
「東国か、さらに北にあるという俘囚の地の者か。なぜ、まぎれこんできたぞ。名は何というか」
男は答えます。
「あなたがたのことばになおせば、<北の魚座・14番星>とでもなりますかな。私の名はクイム89」

その後、話は予想もできない方向に展開します。
といっても短いのですが。
男は、部屋にあった貝合わせ遊びの貝殻を見て、恐怖におののき忽然と姿を消すのです。
式部はそれから長いことその男の訪れを待ち続けますが、再び現れることはありませんでした。
式部は、ある日、その思いを歌にしました。

あらざらん この世のそとの思ひ出に
いま ひとたびの逢ふこともがな

これは、「後拾遺集」にある和泉式部の歌です。
百人一首にもあるようです。
後拾遺集の詞書には、「心地例ならずはべりけるころ、人のもとにつかはしける」とあります。
つまり、病気で死の床に就いている時に、心残りを歌に託して男のもとに贈ったということのようです。

「あらざらむこの世のそと」とは、自分がいなくなってしまう現世の「そと」ですから、彼岸ということになります。
彼岸に旅立つ前に、もう一度、逢いたいというわけです。

この歌に出会った光瀬龍はまったくちがった解釈をします。
それが、この作品です。
時間軸を空間軸に転換します。
「あらざらむこの世のそと」は、想像もできない宇宙の果て(魚座)というわけです。
この短編を映像で見た記憶がありますが、テレビではなく私の夢だったかもしれません。
そこで見た異形の者は、シュメールの遺跡に出てくる形をしていたと記憶しています。
時空間を凝縮した節子の「異形さ」とは明らかに違うのですが、どこかで通ずるものを感じます。

和泉式部の不幸は、彼岸を見ることができなかったことかもしれません。
しかし、「いま ひとたびの逢ふこともがな」の思いは、痛いほどわかります。

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