« ■自殺問題への取り組みへの違和感 | トップページ | ■節子への挽歌1028:黒岩さんのトークショー »

2010/06/26

■高齢者の存在価値

昨日のサロンで話題になった話です。
ある人が、高齢者の介護にお金や時間をかけるよりも若者にお金をかけたほうが良いのではないか。高齢者のための薬の開発も無駄ではないかと言うのです。
人は自然に生き、自然に死ねばいい、という考えが、そこにはあるようです。

人が自然に生きたらどのくらいまで生きつづけるでしょうか。
100歳くらいだという説もあります。
それを可能にするのは、そして平均寿命を延ばしたのは医療や公衆衛生の発達だという説もあります。
説ではなくて、事実だろうと言う人もいるかもしれませんが、少なくとも私はそうは考えていません。
日本の記紀に出てくる長寿の話をそのまま信じているわけではありませんが、人の寿命は時代と共にむしろ短縮化していると思っています。
ややこしいのですが、平均寿命の話ではありません。
人生を全うした時の寿命の話です。
石器時代には、人は戦争もせずに、豊かに100歳を越える寿命を楽しんだと思っているのです。
そんなばかなと思うかもしれませんが、当時の人口密度を考えれば、争いなどは起きないと思いますし、仲よくやることの必然性があったはずです。
食べ物は地にあふれ、同時に危険に満ちた課題もまたあふれていたでしょう。
後者のために平均寿命は短かったでしょうが、それを乗り切った人の寿命は前者のために100歳を越えていてもおかしくありません。

さて突然飛躍しますが、今の産業社会を成り立たせているのは何でしょうか。
ドラッカーが言うように、企業の発展を支えるのは顧客です。
顧客になれるのは人間です(最近はペットも消費機関になっていますが)。
その人間を企業の顧客にすることが、この50年の企業経営の課題でした。
私は、その経営思想に違和感をもって会社を辞めたのですが、その流れは今も変わっていません。
政権交代した民主党政権も成長戦略を掲げていますが、その成長の基本は「顧客の創造」です。
私は同意できません。
顧客を創造する発想の成長戦略の行く末は、私にはよく見えるからです。

また長くなりそうなので、短絡させます。
高齢者は社会にとって価値のない存在でしょうか。
そんなことはありません。
高齢者、つまりあまり働かずに、しかし消費しなければ生きていけない、手のかかる存在は、産業社会(顧客社会)を成り立たせる不可欠の存在なのです。
なぜなら生産もしないで消費だけしてくれるありがたい存在だからです。
それだけではありません。
誰かの役に立つことが、もし生きるうえでの最高の歓びであるとしたら、それを提供してくれるのも、高齢者なのです。
金銭経済的に、人間の生きがい的にも、高齢者はとても大切な存在なのです。
彼らがいなくなったら困る人はたくさんいるのです。
高齢者を若者が支えているのではありません。
働かなくて世話が焼ける高齢者こそが若者を支えているのです。

暴論と言われそうですが、
そして暴論ですが、
ここに含意されているメッセージをお組取りいただけるとうれしいです。
お暇な方はぜひ議論に湯島に来てください。
暇つぶしの相手をするのも、私のような高齢者の役割ですので。

|

« ■自殺問題への取り組みへの違和感 | トップページ | ■節子への挽歌1028:黒岩さんのトークショー »

社会時評」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ■高齢者の存在価値:

« ■自殺問題への取り組みへの違和感 | トップページ | ■節子への挽歌1028:黒岩さんのトークショー »