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2010/06/14

■お金が若者をだめにしていく悲しさ

やはり琴光喜は野球賭博をやっていました。
彼が嘘をついていたのが、とても残念です。
それはともかく、
私がこの事件で感じたのは、関脇の給料の高さです。
私にはどう考えても高すぎます。
お金で「がんばり」を引き出しているような気がしてなりません。
収入が多すぎるために、人生を間違ってしまう関取も少なくないでしょう。
お金はうまく使わないと、逆に使われてしまいかねない「魔力」を持っています。
お金を使うということは、稼ぐこと以上に難しいことではないかと私は思っています。

これは相撲界に限りません。
野球もサッカーもテニスもオリンピックも、いまや金まみれです。
私がスポーツを好きになれないのは、それが金まみれの世界だからです。
イチローも中田も、私には金でダメになった被害者にしか見えないのです。
こんなことをいうと顰蹙をかいそうですが。
もちろんテレビタレントもまったく同じです。
私は、彼らは金持ちの道化にしか見えません。
金の道具とまではいいませんが、それに近いような気もします。
私の考えはどこか歪んでいるかもしれませんが、私からみれば、今のスポーツや芸能は歪んでいます。

野球賭博をやった琴光喜は、私にはどうしても被害者に思えてなりません。
問題の本質をしっかりと見据えなければいけません。
お金はほんとうに恐ろしいものです。
にもかかわらず、やはり「あるといいな」と思ってしまう自分が哀しいです。

ちなみに、先日書いた、カメルーンのエトー選手の記事と矛盾していると思われるかもしれませんが、どこが違うのか、自分でもよくわかりません。
これはもう少し考えてみたいと思います。

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