■節子への挽歌1032:『なぜ、脳は神を創ったのか?』
節子
昨日、節子にメールしましたが、もしかしたらそれが届いたのかもしれません。
今朝の明け方、久しぶりに節子が夢に出てきました。
ブルージーンズに緑のジャケットという、私が見たこともないような服装でしたが、節子に気づいた途端に、なんだか世界がとてもあったかくなってきて、その後のことは思い出せません。
あの夢は、夢だったのかもしれないと思うほどです???
節子との40年間は、どうだったでしょうか。
決して夢ではなく、さまざまな痕跡が今もなお私の周りにはあるのですが、
しかし、夢だと考えても、それはそれなりに納得できます。
いや、節子のいない世界を生きている今が、夢だと考えてもおかしくありません。
夢とは何か、いったい何なのか。
昨日、電車の車内広告に『なぜ、脳は神を創ったのか?』という本が紹介されていました。
そのタイトルがとても気になりました。
著者は苫米地英人さんです。
誰だったか忘れてしまいましたが、10年くらい前に、「友人がこんな本を書いたので読んでやってくれ」といって『洗脳原論』という本を持ってきてくれた人がいます。
その時は消化不良でしたが、その著者の名前は心に強く残りました。
その人が苫米地英人さんです。
気になって、帰宅してネットで調べてみました。
その本の紹介として、次のように書かれていました。
生まれつき脳に刻みこまれた「死への恐怖」のために、脳は自ら神を創り、さらには宗教、国家を創ってきた。読んでみようという気になりました。
オウム真理教の脱洗脳でも有名な苫米地英人が「脳科学」と「宗教史」が証明した「幸福な生き方」を初めて解説!
いまさら「幸福な生き方」には関心がありませんが、「幸福だった生き方」には関心があるからです。
なぜ節子がいたころは、あんなに幸福だったのだろうか。
それはたぶんに「脳」に関係しているのではないかと最近思い出しているのです。
もし脳が神を創れるのであれば、節子を創るくらい簡単なのではないか。
節子を創れるのであれば、私だって創れるのではないか。
いうまでもなく、節子や私を創りだす脳は、私の頭の中にある脳ではありません。
まあ、そうした「脳」のほんの一部は私の頭の中にもあるでしょう。
インターネットの世界で言えば、小さなプロバイダーというところでしょうか。
節子と会えるのであれば、いかように「洗脳」してもらってもいいのですが、私のお粗末なプロバイダーがそれに耐ええるかどうか、それが問題です。
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