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2010/06/14

■お金をもらえれば、生活は保護されるのか

昨日、ある会で「生活保護家庭」への給付金が多すぎるという議論が出ました。
地方で活動している人が問題提起したのですが、その地域では13万円ももらうと貯金もでき、その状況から抜け出そうという意欲がなくなるというのです。
中途半端な知識での議論ではありません。
そうした人たちを支援する活動に実際に取り組んでいる人の発言です。

賛成する人もいました。
しかし、貧困層で、生活保護の給付対象になっている人の割合、いわゆる捕捉率は日本ではとても低いといわれています。
正確な統計はないようですが、10~20%というのが大方の評価です。
ですから、生活保護の対象になった人とは「選ばれた人」なのです。

私は支給額よりも捕捉率が問題だと思いますが、支給額も重要です。
たしかに月額13万円は高いと思う人もいるでしょう。
たしかに私の周りにも、年収200万円に満たない人は少なくありませんから、月額13万円という額は、多いといえば多いかもしれません。
それに、都会ではともかく自然に恵まれたところであれば、5~6万円で暮らせると、私はいろんな人からお誘いを受けたことがあります。
私はいま東京の郊外に住んでいますが、昨年の収入は基本的には月額155,000円の年金です。
幸いに自宅に住んでいるので、住居費はかかりませんから、これで何とかやろうと思えば暮らせます。
ですが、それは月額収入だけのおかげではなく、長年培ってきた人のつながりに支えられているからです。
お金だけで考えては、問題は見えてこないでしょう。

昨日の集まりの参加者のなかに反貧困活動をしている人がいました。
その人は、生活保護給付金が高いという批判は、マイナススパイラルを起こすことになると発言しました。
これは全く同感で、生活保護者よりも貧しい人がいたらその人の収入を増やす方向で思考すべきであって、その逆ではありません。
しかし多くの人たちは、条件の違いがあると必ずといっていいほど、よい条件を下げようとするのです。
自分を優位に置こうと思うあまり、他者の恵まれた条件を好まない傾向があるのです。
しかも、お互いに足を引っ張り合う意識が、貧しい人ほど強いのです。
これはこれまでに何回も体験してきた、人の持つ哀しい習性です。

反貧困活動をしている人に、なぜそういう人は地方に行って、お金がなくても暮らせる生活に移らないのかと質問しました。
これも以前、このブログで書きましたが、そういう発想が生まれないように社会は仕組まれているのです。
案の定、参加者の一人の若者が、そんなことは無理です、どうやって地方で暮らせるのですか、といいました。
みんなそう思うのです。
だからこそ、企業は低賃金で人を雇え、権力は人を盲従させられるわけです。

「そんなことはできない」
まずはその発想の呪縛から自由にならなければいけません。
生活保護受給者の生活をうらやんではいけません。
うらやむのであれば、すべてを捨てて、自分の生活保護を申請すべきです。
そうしたら、給付額の問題ではないことがわかるでしょう。
地方では暮らせないと思うのであれば、今の暮らしを嘆いてはいけません。

生活保護の金額が多いとか少ないとかいう議論は、どこかおかしいような気がします。
お金をもらえれば、生活は保護されるのか。
そんな話ではないでしょうし。

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