■節子への挽歌1003:「もう一人の節子」
昨日のユカとの会話で、ユカはこんなことも言いました。
地デジのテレビも買ってなかったし、読売新聞にもなっていなかったよ。
それで今日は新聞の話です。
節子は「朝日新聞」のファンでした。
私は朝日でも読売でも、何でもいいのです。
最近は新聞を信頼できずにいますので。
わが家はずっと朝日新聞です。
ところが今年、私がネットにはまってしまい、ネットで申し込むと景品がもらえるという誘いに目がくらんで、読売新聞に切り替えてしまったのです。
景品といってもどうでもいいようなもので、その「モノ」には興味はなく、ただ「ネットで申し込むともらえる」という誘いについふらふらと申し込んでしまったのです。
それでいまわが家は読売新聞なのですが、ユカはそのことをやんわりと非難しているわけです。
実はユカも朝日新聞ファンで、読売新聞は読みにくいというのです。
まあ景品に釣られて私が半年予約してしまったのが悪かったのですが。
ところで、節子はなぜ朝日新聞ファンだったのか。
その理由は報道姿勢などといった話ではありません。
まあ節子の考えには朝日新聞が合っていたとは思いますが、節子の関心はそうではありません。
節子は、朝日新聞の「ひととき」欄が好きだったのです。
自分でも時々投稿し、何回かは掲載されています。
手術の日にも掲載され、それが節子大きな元気を与えたことは以前書きました。
節子は投稿や手紙を書くのが好きでした。
どこに行く時も必ず筆記用具と手帳は忘れませんでした。
電車の中でも何か思いつくと書いていました。
私と違って推敲するタイプでした。
まあ推敲したところで高が知れているのですが、節子は推敲するのは好きだったのです。
私もそうなのですが、節子は自分で書いたものを必ず私に読んで聞かせました。
お互いに書いたものを読んで感想をもらうということは、私たちの思いを共有化する上で大きな意味があったのかもしれないと、いま思い当たりました。
それに限りませんが、私たちは何でもお互いに共有することを大事にしていました。
なぜそうなったのか、不思議です。
私にとって、節子は「もう一人の自分」のような感じが、いつの頃からかしていたのです。
節子が残したファイルの中に、節子が投稿して新聞や雑誌に掲載された小論がいくつか残っています。
それを読むと、まるで私が書いたような錯覚に陥ります。
節子はきっと「もう一人の私」だったのです。
いや、私は「もう一人の節子」なのかもしれません。
なぜかこの頃、とても悲しいのです。
無性に節子に会いたくて仕方がありません。
そういえば先日、ユカが電車で前の席に座った人がお母さんに似ていたと言っていました。
娘たちもきっと会いたくなっているのでしょう。
節子は罪作りの大ばか者です。
今度会ったら思い切り怒ろうと思います。
でも、それはいつになるのでしょうか。
| 固定リンク
「妻への挽歌06」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌1200:節子がいない不幸(2010.12.15)
- ■節子への挽歌1199:柳原和子さんに何かあったのでしょうか(2010.12.14)
- ■節子への挽歌1198:私の仕事好きが節子は不満でした(2010.12.13)
- ■節子への挽歌1197:解けない難問(2010.12.12)
コメント