■節子への挽歌1004:花の手入れ
節子
玄関のバラが次々と咲き出しています。
しかし私の怠慢さで、枯れてしまった花もいくつかあります。
花の手入れもかなり大変です。
私の担当は室内と裏庭だけなのですが、まあ時々手を抜いてしまう癖があるのです。
植物は正直ですので、私の対応にとても素直に反応します。
心の込め方で花の咲き方は変わっていくのでしょうね。
節子は思い切り咲いた人生を過ごしたでしょうか。
私の心の込め方は正直中途半端だったなと思います。
もっともっと心を込めて、愛すればよかったと思います。
いなくなってからこんな挽歌をいくら書いても節子は輝いてくれません。
元気だった頃にもっとやれることがあったはずです。
それが何だったのかは思いつきませんが。
ところでもし、私が先に逝ったとしたら、節子はどうだったでしょうか。
修をもっと愛してやればよかったと後悔するでしょうか。
それはいささか疑問です。
節子は合理主義者でしたから、考えてもどうにもならないことは割り切ることのできる人でした。
それに私よりは潔い人でした。
ですからきっと「いなくなった修」よりも花が大事だと花三昧に明け暮れたかもしれません。
そういえば、元気な時も、私の相手よりも花を相手にしている時の方が幸せそうでしたから。
その節子に代わって、いま私が家の花の手入れをしているわけですが、その花の由来も娘に教えてもらわないとわからないものがたくさんあります。
枯らしてしまってから、しまったと思うような、節子の思い出の深い花もあるのです。
たぶん節子は心配しながら見ていることでしょう。
まさか節子の花の世話までさせられるとは思っていませんでした。
これは不幸なことなのでしょうか、それとも幸せなことなのでしょうか。
最近は、毎朝、水やりをするのが日課です。
節子がいた時にやっていれば、喜んでくれたでしょうに。
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