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2010/06/19

■節子への挽歌1022:心の呪縛がまた一つ解けました

今日は帰国ですが、仁川空港で時間があるので韓国での最後の挽歌を書きます。
今回、韓国に出かけてきたおかげで、また一つ、私の心の呪縛が解けたような気がします。
今朝は3時すぎに目が覚めて、そのことを考え出したら、眠れなくなってしまいました。
自分でもよくわからないのですが、昨夜から少し自分の思考の流れが破れだしています。

今回の訪韓は、出発前日まで、やめたい気持ちと行きたい気持ちが、私の中でせめぎあっていました。
それを知ってか、佐々木さんは前日も当日も私にお電話をかけてきました。

節子がいなくなってから、私の発想の中から「・・・したい」という思考が消えてしまいました。
とりわけ、節子も喜ぶだろうなということには背を向けたくなるのです。
ですから海外旅行もすうするまいと決めていたのです。
にもかかわらず、なぜ今回来てしまったのでしょうか。

節子と一緒だった頃は、私の信条はポジティブアクションでした。
人に会うのも、新しいところに出かけるのも大好きでした。
出張すれば、朝早く起きてホテルの周りを散策し、気になる人がいたら自分から会いに行きました。
でも最近は違います。
できれば人に会いたくないし、遠くに出かけたくはない。
ですから誰かに会っても、ほんとは会いたくなんかないのですと憎まれ口をたたいていました。
何かをすることに、ある意味での罪悪感と負担感が伴っていたのです。
これはなかなかわかってはもらえないでしょう。

節子がいなくなってから、アクションはいつも受身になりました。
誘われたら断る気力がないので受けてしまう。そして後悔する。
その連続です。
「後悔」という概念は、節子がいなくなってから体験するようになった感覚です。

今回は、実は受身でもなく能動的でもなく、なんとなく韓国に来てしまったのです。
こんな言い方をすると4日間も私のために生活を犠牲にされた佐々木ご夫妻には顔向けできないのですが(すみません)、それが素直な私の気持ちです。
佐々木さんは無理に来いとは言いませんでした。
もしかしたら誘っていなかったのかもしれません。
それに、韓国に来なければいけない目的はあるようでなかったのです。
昨日、ワークショップに参加した韓国の人に、佐藤さんはなんのために韓国に来たのですか、と質問されて、私は答えられませんでした。
その言葉を、今朝の目覚めの後、自問しました。
答えは唯一つ。
来るべくして来たのです。
受身でもなく、能動的でもなかったのです。

この4日間で私の身を屈めさせていた、心身の呪縛が解けたような気がします。
まだ完全ではありません。
しかし、昨日の朝も散歩に出ようという気になりました。

何かが変わりだした。
そんな気がします。
諦めていたパルミラ遺跡にも行けるかもしれません。
すべては佐々木さんたちのおかげです。
いま気づきましたが、佐々木ご夫妻が娘のようにしている愛犬は、「パル」と「ミホ」といいます。
パルミホ。パルミラ。
実は、韓国に来るチケットを購入に行ったとき、理由もなく、そのツアーのパンフレットを持ち帰っています。
これは意味があるでしょうか。

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