■節子への挽歌1006:話し合い関係
節子
また首相が変わってしまいました。
節子がいたらなんというでしょうか。
節子は「保守」でも「革新」でもなく、「わかる言葉」を話す人が好きでした。
「わかる」には「嘘をつかない」とか「一貫している」という意味も含まれていましたが、ともかく素直に聴ける言葉です。
そうなると、なぜか共産党の人の話が節子には合っていたように思います。
彼らの言葉は、素直に聴くととてもわかりやすいのです。
節子は、政治にそう関心があったわけではありませんが、大きな問題に関しては、私の知ったかぶった「解説」をよく聞いてくれました。
節子と話しながら、私も問題を整理できることが少なくありませんでした。
人は話しながら考えるものなのです。
ユカから、最近、お父さんはよく話すようになったね、といわれました。
私はまったく意識していなかったのですが、以前は節子に話していたことを娘たちに話すようになっているようです。
しかし、それは私だけの話ではありません。
ユカもジュンも、それぞれよく話すようになったような気がします。
節子がいた頃は、節子がいつもみんなの聴き役だったのです。
節子を中心にして、わが家の情報がまわっていたのです。
ユカの一言で、そのことに気づきました。
主婦の役割の大きさを改めて認識しました。
節子がいなくなったので、わが家の話し合い関係が一時期、停滞していたようですが、それが最近回復してきているようです。
新しい話し合い関係が整いだしたようです。
以前とはどうも少し違うようですが、まあこれになれなければいけません。
それにしても、節子ほど気の置けない話し相手はいませんでした。
私が話好きになったのは、節子のおかげかもしれません。
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