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2010/06/22

■反社会的と反国家的

相撲界と暴力団とのつながりが次々と明るみに出されてきています。
いつものことながら、何をいまさらと私は思いますが、今回はかなり本気で取り組まないとごまかせない状況のようです。

この種の事件が話題になると、「反社会的組織」という文字がよく出てきます。
実に不思議な言葉です。
もし反社会的組織とはいったい何を意味するのでしょうか。
一般的には「暴力団」を意味するようですが、なぜ「反社会組織」などと書くのでしょうか。
そもそも、その場合の「社会」とはなんでしょうか。

国家はよく言われるように「社会的な暴力団」です。
しかも「反社会的な暴力団」とは深くつながっており、お互いに支えあっています。
私が大学生の頃、安保闘争が盛んでしたが、学生のデモを抑えるために警察はたぶん「反社会的」な暴力団を「社会的」に活用したはずです。

アイゼンハワー米大統領の訪日反対運動の高まりに対して、警察は警備力不足を補うために、「反社会組織」の大量動員を計画しました。
アイゼンハワーが訪日を中止したためこれは実現しませんでしたが、警察と「反社会組織」の契約は成立していたはずです。
彼らはいつも「つるんでいる」のです。

それが悪いといっているのではありません。
当然過ぎるほど当然のことですから。

警察と「反社会組織」のつながりと同じく、芸能やスポーツと「反社会組織」のつながりもまた当然過ぎるほど当然です。
そんなことをいまさらあげつらうなよと、私は言いたいです。

とりわけ相撲界は暴力団と深くつながっています。
その証拠に、表彰式に必ず「社会的暴力団」の代表である首相が表彰状を手渡しします。
「社会的」と「反社会的」というのは、対語のように感じますが、同義語です。
つまりコインの裏表であり、正と反は状況によって入れ替わるからです。

反社会的と反国家的とはどうでしょうか。
反社会的組織は国家の維持のためには不可欠です。
ですから消滅させずに存続させています。
反社会的組織には存続する社会的意味があるのです。
しかし反国家的組織は国家は存続を許しません。
そこが組織を見る場合のメルクマールです。
いうまでもありませんが、反国家的な組織が反社会的であるわけではありません。
しかし多くの人はそのあたりを混同しているように思います。

みんな知っていたこと、やっていたことを、急に騒ぐことに白々しさを感じます。

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