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2010/06/30

■ワールドカップ戦を見てしまいました

私はサッカーには関心のない人間です。
ところが昨夜のワールドカップの日本・パラグァイ戦をなぜか見てしまいました。
眠くて仕方がありません。
ファンでもなく、好きでもないのに、なぜ見てしまったのか。
理由はまったくありません。
何となく、ただ見てしまったのです。
私は、外部を気にせずに自分を素直に生きることを信条にしています。
にもかかわらず、まあ大きな社会の雰囲気や勢いには、いつも巻き込まれてしまいます。
困ったものです。

人の生活は「つながり」の中で成り立っています。
「つながり」には意図的なつながりもありますが、存在するつながりもあります。
たとえば、前を歩いている見ず知らずの人が、突然に倒れたとします。
たぶん無意識にその人を支えようと走り出すでしょう。
あるいは、身体が硬直して動けなくなるでしょう。
つまり、人の感覚はつながっているのです。
意識もそうであるに違いありません。
人は、自分の意志で生きているように思っていても、世間の動きに大きく影響されています。

私は「支え合うつながり」を大事にしたいと思っています。
できるだけ「支え合うつながり」を作り出そうと思って生きています。
しかし、最近、そんなことはことさら意識しなくてもいいのではないかと思うようになりました。
人は、本来、「支え合う存在」なのだと思えるようになったのです。
そして、もちろん、人はどうしようもなく深く「つながって」います。
素直に生きれば、「支え合うつながり」に気づくのです。
真夜中まで、興味のないサッカーを観てしまったのには、私がみんなとつながっているからかもしれません。

ある人が、私が「自然体で生きている」とメールをくれました。
その人とは2回ほどしか会っていません。
いずれも、私が主催した集まりに参加してくれたのです。
自然体で生きるとは、生かされているように生きることでしょうか。
もしそうならとてもうれしいことです。

この頃、自分が生かされていることを実感できるようになってきました。
21年前に会社を辞めた時に、社会に融合する生き方をめざしたいと書きました。
埋没ではなく、融合ですが、その言葉を思い出しました。

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