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2010/06/10

■開くことの不安定さ

「国家の終焉」に関してもらったコメントに触発されて、「開く」と「壊す」について少し考えてみました。
というのは、私のこの30年のテーマは「開く」だったからです。
東レ時代に企業のアイデンティティを再構築するプロジェクトに関わらせてもらいました。
そのプロジェクトを社長に提案させてもらった時の私の基本的な考えは「企業を開く」でした。
21世紀は真心の時代という小論をベースに、企業はいま自らを開く時という雑文を書きました。
当時、朝日新聞から寄稿を頼まれたので、その要旨を寄稿しました

会社を辞めてからは、自分自身を「開く」生き方を基本にしました。
そして10年ほどして、コムケア活動を開始しましたが、これはNPOやボランティア活動を開くことを目指していました。

コメントを読んで、「開く」とは「不安定」を呼び込むことだと気づきました。
「コロンブスのたまご」のように、少し考えたら自明のことですが。
同時に、気づいたのは、自らを壊すことが社会を壊すことだということです。
壊すとは、創ることの始まりなのですが。

グローバル化とは、国家を開くことです。
つまり国家を壊すことですが、そこに現れるのが「岐路」です。
ネグリのマルチチュードが、岐路のどちらを選ぶのかは確実ではありません・
おそらく論理的でさえないでしょう。

透明性を高めることを公言している管新内閣は「不安定」を取り組むことになります。
小沢さんはそれをよく知っていますから、開かなかったのかもしれません。
しかし若い世代は、壊すことが生み出すこと、創ることと同値であることを知っているのです。

ホメオスタシスからホメオカオスという認識でいえば、開くことを重視した生き方は良かったのだろうと思います。
私の人生が、とてもエキサイティングで面白かったのは、開いたことの結果だったのかもしれません。
しかし、それが幸せだったかどうかはわかりません。

管首相は「最小不幸社会」を掲げました。
とても共感できますが、個人の生は、それでは退屈です。
やはり自らを開き、弱さをさらけだして、不安定を呼び込むのがいいです。
匿名で生きていて、何が面白いのでしょうか。
ただ実名を開いていくことは、それなりのエネルギーが必要です。
そろそろ閉じた生き方に変えるほうがいいかもしれない。
コメントを読みながら、そんなことを思いました。

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