■「介護」のもつ「負の価値」と「正の価値」
昨日の続きを書きます。
「介護」という言葉をどう捉えるかです。
多くの人は、私も含めてですが、「介護」にはマイナスイメージがあります。
それは「要介護」と言う表現に象徴されています。
「介護」には負の価値が付きまとっています。
しかし、そうでしょうか。
たしかに、介護を作業として考えると大変な仕事ですし、介護を必要とする人にとっては、負の価値を持っていることは事実です。
しかし、それだけではないのではないか。
介護には要介護者の生活を支援するという側面の他に、もう一つ大きな意味があります。
それは介護を通じて、人と人が支え合う関係に気づくとか、人のつながりが育つとか、さらには家族のあり方、隣近所の付き合い方、最近の言葉を使えば、ソーシャル・キャピタル、社会にとって一番大切な人の絆や信頼関係を育てていくという働きです。
こうした「介護」の持つ正の価値に焦点を当てて考えるとどうなるでしょうか。
シンポジウムのパネルディスカッションで、父親の介護経験のある中村さんのお話は感動的でした。
お父さんの介護を通して、父との絆を深め、とてもいい時間が過ごせたといいます。
「介護」はまさに「価値ある行為」であり、介護される人だけでなく、介護する人にも大きな喜びを与える側面を持っているのです。
中村さんの経験は、以前、私のホームページで紹介した「ケアプランを自分で立てるということ」という本に出てきます。
同じ種類の活動なのに「育児」には必ずしも負のイメージはありません。
なぜでしょうか。
いずれも一人では生きていけない状況を手助けしてやるということでは同じ行為です。
「介護」に「負の価値」しか見出せない社会は、「育児」にも「負の価値」しか与えられなくなるでしょう。
今の日本は、まさにそうなりつつあるのかもしれません。
「介護」という言葉を、もっと好意的に受け止めることが必要ではないか。
介護の持つ正の価値に気づくこと、それこそが大切なのではないかという気がします。
私が取り組むコムケア活動は、重荷を背負い合う関係を育てることを一つの目標にしています。
10年ほどやってきて、それは自分の生活の周りでしかできないことがわかりました。
その基本はやはり「家族」です。
その家族がいま、壊れだしている。
「介護」は、その家族を壊しもすれば、育てもします。
安直に「介護の社会化」と考えていいのか、そんな気がしてきました。
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