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2010/06/25

■自殺問題への取り組みへの違和感

最近、自分がこの1年取り組んできた「自殺防止活動への支援」に違和感が高まりだしています。
これまでも繰り返されたことですが、企業変革、まちづくり、環境保全、福祉活動支援など、取り組んでいるうちに、どうもこの取り組みは間違っているのではないかと思い出すのです。
そしていつも途中で路線変更してしまうわけです。
そこで「ジレンマ」に陥るわけです。
環境保全活動に協力すればするほど、環境を壊していくのではないかと思うのです。
他の分野も同じです。

自殺関連もそうではないかという気は最初からしていました。
ですから茂さんや福山さんにはネットワーク立ち上げまで協力させてもらうと約束していたのです。
しかしどうもまだネットワークがしっかりしないので離れられないのですが、やはりどうも「居心地が悪い」のです。

いくつかの「違和感を高める出来事」が重なったこともあるのですが、最近、読んだ小俣和一郎さんの「異常とは何か」(講談社現代新書)で、こんな文章に出合ったのです。

日本国家が「自殺対策基本法」という法律まで作ったのは、OECD諸国の中でハンガリーに次いで第2位(2002年)という高い自殺率が「先進国の恥」であるという、いわば国家主義的な動機があったであろう。あるいは、自殺者が年間3万人を超えるという事態が10年近くも続いたことで、日本は人権という先進国に共通の基本的価値をおろそかにしているのか、という国際社会からの批判をかわす狙いがあっただろう(事実、この法律には自殺率の具体的な低減目標さえ盛り込まれている)。
私はこの認識には必ずしも賛成ではありませんが、まったく否定することもできません。
そう思うのは、最後に言及している「自殺率の低減目標」です。
これには、私も驚きました。
問題の設定が完全に間違っていると思ったのです。
自殺率までも政策対象にするという、生政治の人間観の本質が垣間見えるからです。

しかし、だからといって、最近の自殺問題への取り組みを否定するつもりはありません。
それはそれで一定の成果を挙げてきています。
ただ私が考える方向ではないだけの話です。
これは環境やまちづくりに関してもいえることです。
私には間違っているとしか思えませんが、それぞれの活動によってよくなってきていることは認めないわけには行きませんし、私の考えが成果を挙げていないことも事実ですから。

悩ましい問題ですが、やはり自殺問題へのかかわりは、できるだけ早く身を引こうと思います。
小俣さんは、こうも書いています。

2006年には「自殺対策基本法」が国会で成立し、国家予算がつけられたことから、今では自治体や大企業でも自殺予防活動に取り組みはじめるところが出てきた。まさに世を挙げての自殺予防ブームといったら言い過ぎであろうか。
ブームの持つ危険な要素を、私も感じています。

この記事はホームページの週間報告のために書いたのですが、自己批判や異論性を大事にしている、このブログの時評編にも、まさにこの時期に載せておきたくなりました。
自殺問題に取り組んでいる友人知人の顔を思い出すと、いささかの躊躇はあるのですが。

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コメント

はじめまして。Y.Kenjiと申します。
自殺防止活動に関して、胸の内を書いていただき、
ありがとうございます。

私も、今の日本の自殺対策、自殺防止活動には、
違和感と疑問を感じています。
そうした思いを、ブログにしました。

 「自殺防止を、やめませんか?」
 http://life2spirit.seesaa.net/

何かの参考になれば、幸いです。

私は、訳あって、自殺に関するさまざまなことを
考えながら、日々を過ごしています。
また、私は死別の悲しみ、苦しみに関する活動に関わっており、
佐藤様の記事を、少しずつ、深く感じ入りながら、
読ませていただいています。
記事を公開されていることに、感謝致します。

投稿: Y.Kenji | 2010/07/04 21:59

Y.Kenjiさん
ありがとうございます。

ブログ、読ませてもらいました。
同感です。
私の思い過ごしかもしれないと思っていたのですが、
ブログを読ませてもらい、気持ちが落ち着きました。

私が関わっている「自殺のない社会づくりネットワーク」でもいつか問題提起しようと思いますが、どれほどの人が耳を傾けてくれるかは疑問でした。
それ以前に、正面からこの問題を提起する勇気がまだもてないでいました。
一度、きちんと問題提起してみようという気になりました。

ありがとうございました。

投稿: 佐藤修 | 2010/07/05 20:38

私もずっと違和感を感じていました。
この記事がアップされて以来、
佐藤さんには何度もメールしようと思い、何度もお電話しようと思い
考えがまとまらないまま、それでもずっとひっかかっていましたが
佐藤さんと同じく、Y.Kenjiさんのブログでやっと心が落ち着きました。

Y.Kenjiさんの記事は全て読ませてもらいました。
涙が溢れるのではなく、心が震える感じがしました。
これを共振、というのでしょうか。
私が考えていることは、また少し赴きが違いますが、スピリチュアルな考えなので
ここに書いてよいのかの迷いがありますので、また別の機会に訊いて頂けないでしょうか。

Y.Kenjiさんのサイトで、自分の中の違和感に
焦点が合っていくのが分かります。
ここで巡り会えてとても嬉しく思いました。

投稿: 埋田 | 2010/07/05 22:29

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