■節子への挽歌1012:さまざまな人がまた湯島に来始めました
節子
1年ぶりに田中雅子さんと会いました。
節子がいつも、そのがんばりぶりに感心していた田中さんです。
節子の闘病中は、田中さんはネパールにいましたので、たぶん節子が最後に会ったのは10年ほど前かもしれません。
今日はある会で話をしてもらったのですが、田中さんのこれまでの活動を改めて聞かせてもらいました。
とてもいいお話でした。
湯島のオフィスを始めた頃、来た人の写真を撮っていました。
先日、書類を整理していて、その写真が出てきました。
みんなとても若いのです。
私たちも若かったのです。
この人は誰だろうと思い出せない人もいます。
今から考えると本当にさまざまな人たちが湯島に来てくれました。
それまで専業主婦だった節子には、目の回る毎日だったかもしれません。
私以上に新鮮だったと思います。
もう足が遠のいてしまった人もいますが、時折、突然やってくる人もいます。
久しぶりにやってきた、そうした人たちに、今はもう私一人でしか対応できないのがとても残念です。
それにしても、みんなどんどん成長しています。
世界を広げているのです。
節子がいたらどんなに喜ぶことだろうと思うこともあります。
成長を止めているのは私たちだけかもしれません。
でも、止まっているからこそ、みんなの変化が実感できるのかもしれません。
やはりこの湯島の空間は、閉じるのはやめようと改めて思いました。
この空間のおかげで、私と節子の絆は深まったのかもしれません。
ここで旧知の人と話していると、時々、節子の名前も出ます。
田中さんの後にやってきた藤本さんは、今日もまた目頭を熱くしながら節子のことを語ってくれました。
ここには、本当にたくさんの思い出がつまっているのです。
節子のおかげで、この湯島の空間を維持できたことを感謝しています。
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