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2010/07/18

■節子への挽歌1050:消費者廃業

節子
節子がいなくなってから、何かが欲しいということがほとんどなくなってしまいました。
考えてみると、この3年、何も買っていないように思います。
ともかく「欲しい」と思うことがなくなったのです。
娘に話したら、昔から書籍以外は自分では何も買わなかったでしょう、といわれてしまいました。
たしかにそうですが、それでも新しい電子機器が出ると急いで買ったり、フクロウの置物を見つけると購入したりしたものです。
それがいつの頃からか、モノを買うことがほとんどなくなったのですが、それでも節子がいる頃は、テレビで何か見ると、ついつい欲しくなって節子に「あれ買っておいてくれない」と言っていたものです。
節子は、時に聞き流していたと思いますが、それなりに買っておいてくれました。

今はそれもいえる人がなくなってしまいましたので、消費者であることをやめてしまったような気がします。
時々、着るものがなくなると、娘が一緒にお店に行って買ってくれます。

書籍もおそらく激減しています。
以前はいつか読もうというものも含めて大量に買っていましたが、最近は読む本しか買いませんから、せいぜい月に10冊程度です。
物欲がなくなったというよりも、モノの意味がなくなったような感じです。
モノを買ったり持ったりする意味が消えてしまったのです。

食べ物もそうです。
お洒落なレストランに行って、美味しい料理を楽しもうなどという気分もなくなりました。
コンサートも舞台も、行こうという気にはなりません。
もともとそういう嗜好は弱かったのですが、最近はほぼ皆無になりました。
意外なのは、かつてあれほど行きたがっていた古代世界の遺跡さえもが、いまやそれほど魅力的ではないのです。

これまで私にとって価値を持っていた、さまざまなものが、なぜか今や色あせてしまったのです。
もしかしたら、私もまた、すでに生命を終えてしまったのかもしれません。
そう考えると奇妙にすっきりすることがあります。
節子がいない人生は、本当に頼りなく、実体を実感できないのです。
ですから、欲しいものなどなくなります。
色即是空ということが、少しずつ実感できてくるような気がします。
空即是色には、まだ少し距離がありますが。

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