■節子への挽歌1058:若い節子と老いた節子の顔はなぜ一緒なのか
節子
昨日、久しぶりに会った武井さんが15年ほど前の私の写真を持ってきました。
彼女が主催したシンポジウムで私が発言している時のものです。
あの頃はまだ、私もさまざまな場所でメッセージを発していました。
いろいろな人とも会いました。
その写真の時は、山谷えり子さんや羽仁進さんとご一緒でした。
羽仁さんの素朴さが心に残っていますが、ほかの事は完全に忘却のかなたです。
私はいったい何を語っていたのでしょうか。
記録が小冊子になっていますので、どこかにあるはずですが。
写真の話に戻します。
若い時の写真と老いた今の写真では、私の顔は明らかに違います。
しかし武井さんは変わっていないといいます。
そういえば、小学校の同窓生の顔を思い出す時、小学生の顔か今の顔か、どちらでしょうか。
いずれでもないような気がします。
皆さんも思い出してみてください。
思い出す顔には、若い時の顔も、今の顔も統合されています。
そんな気がします。
少なくとも私には、若い節子と老いた節子が、ひとつになって思い出されるのです。
私はいつも、写真と実物がかなり違って感じるのですが、その理由がここにあるのかもしれません。
人の記憶は実に不思議です。
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