■節子への挽歌1054:誠実な生き方
節子
最近知り合った若い女性からメールが来ました。
そこに、用件とは別にこんなことが書かれていました。
わたし自身、がんの前と後では価値観が大きく変わりました。幸いに彼女のがんは早期発見で完治したのですが、生き方が変わったようです。
がんを通して、私にもいつか終わりがくることがあるんだということ、
それまでの間に自分が与えられた役割を果たして
みんなが待っている宇宙に還ることができれば、と思うようになりました。
(すこしは長期的に考えられるようになった、ということですね)
彼女に返信のメールを書きながら、私が節子から教えてもらったことを改めて思い出しました。
そこで、最近、節子が教えてくれた「誠実な生き方」を少し忘れていることに気づきました。
その反省も込めて、今日はその人への返信の一部を挽歌にしようと思います。
ご存知かもしれませんが、私は3年ほど前に妻をがんで見送りました。最近、ちょっと自堕落な生き方になりだしているような気がしていますが、節子の教えを思い出して、また明日からは誠実に生きようと思います。
私にとっては、生きる意味を与えてくれていたかけがえのない人でした。
妻は発見が遅れたために、残念ながら奇跡は起こりませんでした。
妻から教えられたことは山のようにありますが、
最大の教えは『誠実に生きること』でした。
私たちは、それまでも一応誠実に生きてきたつもりですが、
余命を感じた妻の生き方は、実に誠実で、1日1日、瞬間瞬間をていねいに大切に過ごしていました。
今から思えば、私はそれにあまり対応できていなかったように思いますが、妻は一言も不満を言いませんでした。
不満を言うくらいの暇があれば、もっと誠実に自らを生きたいと思っていたのでしょう。誠実に生きるということは、他者に対してではなく、自らに対してなのだと、妻から教えられたのです。
自らに誠実であれば、他者にも誠実になれます。
自らに誠実でなければ、他者にも本当の意味では誠実になれないような気がします。
自らに誠実になるということは、どこかで、自分の生に納得すること、楽しむことにつながるような気がします。
それは、妻が身をもって、私に教えてくれたことなのです。
それに、自らに誠実に生きていると、もしかしたら「最後」は来ないのかもしれません。
妻を見送って、そう感じました。
妻の死顔は、実に美しかったです。
まあ、あばたもえくぼと笑われそうですが。
まだ私自身の役割はあるでしょうから。
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