■節子への挽歌1042:最近夢をよくみます
節子
昨夜はやはり夢をみました。
節子は出てきませんでしたが、奇妙な夢でした。
般若心経をあげていたら、途中で暗誦しているはずの経文が出てこなくなった夢です。
慌てて経本を開いたら、それが切り刻まれているのです。
そのうえ、何かが、早く次を唱えろと圧力をかけてくる。
しかし経文が出てこない。
まあそれだけの夢なのですが、どういう意味があるのでしょうか。
そして今朝、いつものように般若心経をあげていたら、夢と同じように、後半になってうまく言葉が出てこないのです。
まさかと思い、経本を開いたら、切り刻まれることもなく、きちんと書かれていました。
最初から、ちゃんと経本を見ながら、あげなおしました。
夢には意味があるとフロイトは言いました。
しかし現世の論理からは、読み解けないことが少なくありません。
もし生命がすべてつながっているとしたら、個人が眠っているかどうかなどは瑣末なことです。
意識を支えている無意識の世界、さらには集合的無意識の世界をつないでいる生命には、おそらく「眠り」というような概念はないでしょう。
いや、そこには「死」という概念すらないでしょう。
生と死を対極的に捉えるのは、個として生きている人間だけかもしれません。
時空間を超えた生命にとっては一瞬の泡のような個人として、夢からそうした世界を覗き見したところで何が見えるでしょうか。
夢判断は、所詮は小賢しい企てでしかないように思います。
にもかかわらず、夢は心を揺さぶります。
夢が、あまりに非日常なためかもしれません。
最近、夢をよく見ます。
そしてよく目が覚めます。
そのせいか、慢性的に眠いです。
昼と夜との境界がなくなっていきそうです。
彼岸と此岸の境界も、なくなっていくといいのですが。
| 固定リンク
「妻への挽歌06」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌1200:節子がいない不幸(2010.12.15)
- ■節子への挽歌1199:柳原和子さんに何かあったのでしょうか(2010.12.14)
- ■節子への挽歌1198:私の仕事好きが節子は不満でした(2010.12.13)
- ■節子への挽歌1197:解けない難問(2010.12.12)
コメント
佐藤さん、先程はどうも。
1時間しか参加できないので思案しましたが、佐藤さんに会うことが出来たので
ミーティングに参加してよかったです。
今 息子のピアノを聴くために、外苑前に向かっている車中です。
実はiPadの便利さは、いつでもどこでも佐藤さんのブログが読める というのも
私には重用なファクターです。
家ではパソコンをほとんど触らないので、会社での仕事の合間に拝見する事が多かったのですが、
今では、電車の中でも「節子への挽歌」を読ませていただくいております。
今日は、ちょっと実験的に iPadでのネット閲覧が、ミーティングに追いつくか試してみましたが、そこそこ追いつき、疑問をその場で解消したり、情報をみんなで共有することが、必要であればできるということがわかりました。使いすぎると会議のスピードを阻害しますが適度になら使えるでしょう。
さて本題に入ります。
半農についてですが、耕作放棄地が増えていますので、野菜を作りたい方、仲間と会話をしたい方、リフレッシュしたい方など、どんどん始めれば良いなと思います。
それにはやはり、人と土地を結びつけてやる方、つまりコーディネートする人や団体がいないと進みませんね。
さて、わがコモンズ手賀沼がその役目を果たしてゆくことになってゆくのでしょうか
今後、メンバーで議論してゆきたいですね。
畑でカフェ ですが、ほんと、コーヒーが美味しいですよ。
廃校から頂いた教室の机を囲んで、めいめいが自宅から不要になった椅子を運んで来ただけの、即席青空カフェですが、メンバーと会話のひとときは、楽しく、笑いに溢れ、これがまさにカフェです。(笑)
太田氏が言う、贅沢なひととき は、実感です。以前お話しした、バリ島ウブドゥの田んぼカフェとはちょっと違いますが、これはこれで、いいもんです。
ではまた お会いできることを楽しみにしています。 とここでちょうど上野到着となりました。
ワープしました。
投稿: 我孫子のミュージシャン | 2010/07/10 15:49
我孫子のミュージシャン さん
ありがとうございます。
iPadははまりそうですね。
実際に見るとほしくなりますね。
半農生活ですが、私の周りでも少しずつ広がっています。
今週も、半農生活の勧めを出版した増山さんが来ますが、
彼は企業を巻き込みたいと考え出しているようです。
梅雨が明けたら、私も農作業に入る予定です。
また時間ができたら遊びに来てください。
自宅でも湯島でも。
投稿: 佐藤修 | 2010/07/13 07:19