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2010/07/14

■消費大国日本

菅政権への支持率がさらに低下したようです。
昨今の状況を見ていると仕方がないかとも思いますが、それにしても日本国民の評価の移ろいやすさには異常さを感じます。
いつから私たちはこんなにも気が短くなってしまったのでしょうか。
人を信ずる気風は無くなったのでしょうか。

このブログでも一度紹介しましたが、日本社会から「信頼関係」が消えだしているということを示唆する調査結果は少なからずあるようです。
いうまでもありませんが、人を信頼しないのは、自らを信頼していないからです。
信頼するべき自己があれば、他者も信頼できるからです。

最近の内閣支持率の動きを見ていると、先日も書きましたが、どうしてもイソップの「かえるの王様」を思い出します。
王様を欲しがったかえるたちに、神様が王様を派遣しますが、誰が来てもかえるたちは満足せず、不満ばかりいいます。
あまりにもうるさいので、神様は水蛇を王様として送りました。
そのおかげで、かえるの国は静かになりました。
かえるたちはみんな水蛇に食べられてしまったのです。

日本では毎年、首相が変わっています。
言い換えれば、日本の国民がそうしているわけです。
つまり首相さえも「浪費」している「消費大国」なのです。
それは、結局、私たち自身を「浪費」しているといっていいでしょう。
そこから抜け出るには、まずは自分を信頼しなければいけません。
そのためには、信頼できる存在にならなければいけません。
それは自らの人生を持つということです。
自らのために生きるということです。

そろそろお金のためや「社会」のために生きるのはやめたいものです。
「社会」のために生きるのをやめるというと誤解されそうですが、これはまた少しずつ書いていきたいと思います。
しかし、「社会のため」が社会を壊してきた例は少なくないように思います

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