■野宿生活は気楽ではないのです
昨日、野宿生活者の支援活動をしている人と会いました。
その人の言った言葉がどうも頭から離れません。
野宿生活は気楽で自由だなどというイメージが作られていますが、実際にはヒエラルキーもルールもあり、なによりも「いい加減にやっている」と死んでしまうんですよ。私は「野宿生活は気楽で自由」だなどとはこれっぽっちも思っていません。
極めて厳しい社会であり、企業以上に「弱肉強食」の世界になっているのだろうなと感じています。
しかし、実際に支援活動をしている人から、そういう話を聞くと、やはりそうかとがっかりしてしまいます。
私のどこかに、野宿生活への期待があるのです。
衣食足って礼節を知る、といわれていました。
しかし昨今は、礼節を知っていては衣食が足たないほどに、弱肉強食がはびこりだしています。
その世界から落ちこぼれた人たちであれば、身を寄せ合って、支えあって暮らしているのではないかという、自分勝手な期待がどこかにあるのです。
もう一つあります。
これは私の体験から得たものなので、それなりに確信はあるのですが、
人は辛い経験をすると他者の痛みがわかるようになるという考えです。
その考えからすると、野宿せざるを得なくなった人たちはきっとやさしいのだろうと思うわけです。
これも身勝手な期待なのでしょうか。
昨今のあまりに窮屈な世界から抜け出て、みんなもっとカジュアルに、「いい加減に」生きようよ、というのが私の考えていることです。
率先して、私自身がそういう生き方を、この20年、実践し続けてきています。
もちろん、「いい加減」にあわせて、「誠実に」そして「嘘をつかず」も大事にしています。
しかし、野宿者の世界でも、「いい加減にやっている」と死んでしまうと聞かされると、私がいかに恵まれた立場で、それこそ「いい加減な」ことを考えているか、思い知らされたような気がしてきます。
競い合って蹴落とし合うのではなく、支え合って伸ばし合う生き方を、みんなができるようになるにはどうしたらいいのでしょうか。
その生き方をみんなが目指さなければ、あるいはそういう生き方ができるようにならない限り、どんな制度やルールをつくっても、多分、問題は解決しないのではないか。
最近、ますますそんな気がしてきています。
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