■節子への挽歌1038:「愛は脳を活性化する」
「愛は脳を活性化する」
これは脳科学者故松本元さんの本のタイトルです。
以前、「ソーシャルブレイン」のことを書いたことがありますが、人間の脳は個人の身体に閉じこもっているわけではありません。
世界に向けて開かれており、世界とのかかわりの中で生きているわけです。
身体が滅しても、脳は生きつづけていると私は思っています。
但し、その「脳」は個人的な存在ではないので、個人としてのまとまりを保持しているかどうかには確信が持てないのですが。
学生の頃、ハインラインの「人形づかい」というSF小説を読んで、いささかゾッとしていましたが、考えてみると、あれは未来小説ではなく、事実を語っていたとも考えられます。
そう思い出したのは、10年ほど前からです。
脳科学のことを学ぶほどに、その考えは強まっています。
1万年前の大昔、魚座から来た宇宙生命が、私たちの身体に埋め込んでいったのが「脳」かもしれない、と最近は思っています。
こんなことを書き出すと、挽歌ではなく時評になってしまいそうですが、ここでは「愛」について、少し書いてみることにします。
松元さんは、「愛は脳を活性化し、意欲を向上させて脳を育てる」と、その本で書いています。
脳の核には「愛」があるといってもいいでしょうか。
つまり、意識とは「愛」のまわりに育っていくものなのです。
愛は、別に夫婦である必要はありません。
親子でも兄弟姉妹でも、友人でも自然への愛でも、なんでもいい。
そんな気がします。
全ての始まりは「愛」なのです。
私はいささか、その「愛」を節子に集中させてしまった感があります。
意識的には、私は博愛主義的なのですが、現実には節子に吸い寄せられていたのかもしれません。
節子は、そのことをむしろ危惧していました。
しかし、その一方で、だからこそがんばらなくてはと思ってくれていたのです。
節子は、私を置いていくことがとても気がかりだったでしょう。
節子がいなあくなって、私の愛は向かう先を失いました。
もちろん今でも節子を愛していますが、やはり手応えのない愛に、時にむなしさを感じます。
愛する人を失うと、人の人生は変わります。
脳は萎縮し、意欲は後退し、疲労感が高まります。
行方を失った「愛」を、新しい次元に昇華できるのはいつでしょうか。
愛のベクトルを反転させなければいけないと思いながらも、なかなかそれができずにいます。
愛は脳を活性化しますが、萎縮させることもあるのです。
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