■節子への挽歌1043:節子が投票しただろう人に投票してきましたよ
節子
今日は参議院議員選挙でした。
私たちは結婚以来、いつも一緒に投票に行きました。
節子はがんが再発した後も、投票に行きました。
節子はまじめな人でしたから、いつも立候補者の所信などをよく読んでいました。
投票所に向かう途中で、誰にしようかという話題が出ることもありましたが、基本的にそれぞれが自分で考え、投票が終わった後に公開するのが私たちのスタイルでした。
お互いが、なぜ誰に投票したかを知ることで、自らの考えを相対化できるのはとてもいいことだと思います。
そういう意味でも、節子がいなくなった影響は大きいです。
以前に増して、私は独善的になっているかもしれません。
人は話しながら考えます。
話すことが多ければ多いほど、人は考えを深められます。
もちろん一人で静かに熟考することも必要ですが、私はむしろ誰かと話しながら考えるタイプです。
ですから、節子と話すことが、私にとっては様々な意味で、世界を深めることでした。
その時間が、なくなってしまったのは、とても残念です。
選挙で誰に投票するかといった、具体的な判断を求められる時になると、そのことを実感します。
節子でなくても話す相手はいるだろうといわれそうですが、やはり違うのです。
一緒に暮らし苦楽を共にすることで、節子は、私にとっては、もう一人の私になっていたのです。
私はまた、もう一人の節子になっていたはずです。
そう考えると、節子がいなくなってから体験したいくつかのことが奇妙に納得できるのです。
節子がいたら、誰に投票したでしょうか。
そんなことも思いながら、投票してきましたが、たぶんいつものように、私たちが投票した人は当選しないでしょう。
私はもちろんそうですが、節子もまた、いわゆる「マジョリティ」には属さない人でした。
だからこそ、私と結婚したのでしょうが。
節子に出会えた幸運さを、この頃、改めて感じます。
だからこそ、節子との早い別れが辛くて、いつまでも信じられずにいるのです。
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