■節子への挽歌1061:確かめない方がいいこともあります
節子
大宰府の加野さんから節子へとぶどうが贈られてきました。
それで昨日、電話してみたのですが、ご不在でした。
もしかしたら、娘さんに会いに行っているのかもしれないと思いました。
今朝、改めて電話してみました。
やはりそうでした。
加野さんの娘の寿恵さんは、節子よりちょっと早く彼岸に旅立ちました。
しかし、いまも毎月、加野さんは寿恵さんと話に行っているのです。
場所は、私も連れて行ってもらった篠栗の大日寺です。
そこでの話は以前書きました。
実はその時にポケットにしのばせていったレコーダーの録音をまだ聴いていません。
すぐ目の前のデスクに、そのレコーダーはあるのですが、聴く気になれないままに1年以上が経過しました。
電池がなくなって、もう消去されてしまっているかもしれません。
この種のことはこれまでも何回かありました。
世の中には、確かめたいようで確かめない方がいいこともあるのです。
前世の友人から手紙が届いたことは以前書きました。
そこに、花巻の小学校の校庭の隅にある小屋を訪ねると前世を思い出すはずですと書かれていました。
その話をある人に話したら、なぜすぐ行かないのかといわれました。
その人も、実はダライラマの生まれ変わりだと自称していましたが。
一度、訊ねようか思ったことがありますが、やはりやめました。
思い出したら、何が変わるのでしょうか。
それに、思い出さなかったら、その手紙の書き手への疑念が発生するかもしれません。
そんなことを思うこと自体、その人のことを信じていないのではないかと言われそうですが、信じていたら、確認に行く必要もありません。
要は、行くべき時が来たら自然と足が向くだろうということです。
自然に任せて生きるのが、いちばんいいのです。
それがすべてを信ずるということでもあります。
今回、加野さんからは節子の話は出ませんでしたが、元気そうな声で安心しました、奥さんが後押ししてくれているのですね、といわれました。
加野さんはたぶんもう80代半ばですが、お元気です。
おそらく彼岸からたくさんのエネルギーをもらっているのです。
今年はまた会いに行こうかと思います。
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