■節子への挽歌1046:交換記憶
節子
ソウルで、ワールドカップのパブリックヴューに参加しましたが、その時に感じたのは、みんなが集まった空間に渦巻く、何といえない「熱気」でした。
その「熱気」が、自宅のテレビで一人で観戦している場合の数倍の興奮をもたらしてくれるのでしょう。
少し規模は小さいですが、結婚することも同じです。
結婚によって、伴侶を得、家族を得ることは、人に力を与えてくれます。
夫婦や家族の間では、感情や知識を共有しあう関係が成立します。
世界は広がるばかりではなく、ダイナミズムが激変するのです。
ヴァージニア大学の心理学者ダニエル・ウェグナーは、これを「交換記憶」(トランザクティヴ・メモリー)と呼んでいます。
心をつなぎあった人の間には「暗黙の連合記憶システム」が成立するというのです。
そうした連合記憶システムをもてれば、人の力は飛躍的に高まります。
ウェグナーは、この交換記憶を失うことが離婚をつらいものにしている原因の一つであるとも言っています。
彼はこう書いています。
「離婚によって気分が滅入り、認識力にも障害が出てきたと嘆いている人は、外部記憶システムが失われたことを別のかたちで表現しているのかもしれない」死別の場合も同じことが言えるでしょう。
「かつては共通の理解を得るために経験を語り合っていた。かつては相手の持つ大きな記憶の保存庫に入ることもできたのに、それもまた失われてしまった。交換記憶の喪失は自分の心の一部を喪失するように感じられる」
最近、ようやくこの言葉の意味が実感できるようになってきました。
とりわけ私は、そうした「交換記憶」を重視し、そこに依存して生きてきました。
節子や家族に任せたことは、私の頭からは完全に無くすようにしてきたのです。
だから、実にさまざまなことに取り組めましたし、さまざまなことに触手を広げられました。
私の人生が豊かだったのは、そのおかげです。
しかし、この挽歌でも時々書いているようにどうもそうした動きが最近鈍っているのです。
世界がなにか虚ろで、立っているところが頼りないのは、そのせいかもしれません。
疲れやすいのも、きっとそのせいでしょう。
伴侶を失ったら、やはり隠棲すべきなのかもしれません。
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