■投票に行きましょう
共和政に生きた古代ギリシアのキケロは、政治的闘争は、必ずしも社会の病理ではなく、否定的事件でもない。むしろ、ある種の闘争を介してのみ、国家はより良く鍛えられる、と言っていたそうです。
国民の間の意見の対立は国家の健全性の基礎だというのです。
もっとも、そこには一つの前提がありました。
基本的な問題に関しては、国民の間に「コンコルディア」(共通認識)がなければならないというのです。
それがなければ、その国家は崩壊します。
古代ローマがそうだったといったのは、スペインの哲学者オルテガです。
今日は参議院議員の投票日です。
候補者の所信などを読んでいて目につくのは、私には退屈な技術論ばかりです。
そうなると、政党の政策が重要になりますが、これがどうもよくわかりません。
鳩山民主党のように、「友愛」を掲げていれば、判断はできますが、「いちばん」とか「元気」などと言われても、何のことかわかりません。
しかし、そうしたことで長年、選挙をやってきたということは、日本では根本的なところでの「コンコルディア」(コンセンサス)があるということなのかもしれません。
もしそうであれば、私の時代認識や状況認識がおかしいということになります。
ならば流れに任せて、平安に暮らすのがいいかもしれません。
でもどこか違うような気がします。
各政党党首の話を聴いていると、この国をよくするために何をしようというよりも、ほかの党を批判する内容は圧倒的に多いです。
否定的な発想だけでは人を感動させることはできず、現実を動かすこともできません。
しかし、昨今の日本の政治状況は、批判や否定だけで動く人が増えてきました。
これこそが、オルテガの言う「危機」なのでしょう。
日本の現在は、「コンコルディア」以前の状況なのです。
だからこそ、死に票にしかならないと思っても、やはり投票には行くべきです。
死に票にしないために、現実を変えるために「次善の人(政党)」に投票するのがいいと言う人もいますが、今回は私はそうはしません。
結果が見えているような気がして気が重いですが、これから投票に行ってきます。
まだの人は、ぜひ投票に行ってください。
投票に行かずに、現実を嘆いても仕方がありません。
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