■節子への挽歌1044:時間生産性の低さ
節子
最近、生活にどうもメリハリがつけられません。
というか、時間の使い方がうまくいかないのです。
ですから、忙しいのか暇なのか、わからないのです。
時間を持て余しているくせに、やるべきことがどんどん山積みされているのです。
机には、やるべきことのための資料が、まさに山になっています。
手紙や電話をしなければいけないことも少なくありませんが、気のりがしないのです。
親戚関係や家庭管理の関係はすべて娘たちに頼んでいます。
しかし、時には自分でしなければいけないこともあります。
それがなぜかできないのです。
節子がいた時には、「節子、○○○をやっといてね」と、一言いうだけで、すべては解決でした。
実に楽でした。
以前も書きましたが、節子は私にとっては、ドラえもんのように、なんでもやってくれる存在でした。
もっとも、まさに「ドラえもん」と同じく、時々、とんでもない結果になってしまうこともありましたが、まあそんなことは瑣末なことです。
うまくいかなければ、文句をいえばいいだけでしたから。
しかし、今から思えば、節子には迷惑をかけてしまっていたのでしょうね。
以前は、時間の使い方がそれなりに上手だと自負していました。
人の数倍の時間の活かし方をしていると確信していました。
しかし最近の私は、その正反対で、時間の使い方が極めて下手なのです。
無駄がとても多くなりました。
なぜでしょうか。
何でもかんでも節子に関連づけるのは問題ですが、しかし時間の活かし方に関しては、間違いなく節子がいないためです。
どうも時間配分の基準がなくなってしまったのです。
それに、夫婦とは実に巧妙に役割分担できる存在なのだと、この頃、改めて思います。
夫婦がうまく支えあえば、一人で使うよりも、時間は数倍も効果的に使えるような気がします。
そう考えないと、最近の私の時間生産性の低さは理解できません。
今日もまた、無駄に時間を浪費してしまったようで、充実感がありません。
こういう生活がもうずっと続いているような気がします。
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