■不要な言い訳
時評を書けずにいます。
暑さのせいで立ち止まることが多くなったために、今までよりも周りが見えてきてしまったためかもしれません。
批評は、その対象が見えていないとできないですが、見えすぎてもできなくなります。
私の周りでも「格差」は広がっています。
私はいずれの世界にもささやかに縁を持たせてもらっていますが、まったく違う世界がそれぞれに自己拡大しているのではないかと思うこともあります。
それぞれの世界にいる人たちは、話す言語さえ違います。
もちろん話題はまったくと言って良いほど違います。
世界が違ってきているのです。
その両者の違いの大きさに、時々、虚しさを感じます。
怒りは感じなくなってきました。
そのふたつの世界のどちらがいいかはわかりませんが、自分の世界はよくわかります。
しかし、そこに安堵できない自分にも時々気がつきます。
時に、お金が欲しくなることもあるのです。
3億円あればこんなことができるのに、などと馬鹿なことを考えてしまうわけです。
お金には何の価値もないことは知っているはずなのですが。
人は結局、自己満足の世界でしか生きられないのかもしれません。
龍馬は時代を変え、賢治は時代を変えませんでした。
私は龍馬よりも賢治が好きですが、しかしふたりとも多分、自分の世界を生きただけのことでしょう。
私たちは、それを勝手に拡大解釈して、自らの自己満足の世界に引きずり込んでしまっているのかもしれません。
少なくとも、彼らは小賢しい時評などしなかった。
自分と時代を思う存分に生きたのです。
その潔さはまぶしいほどですが、私はそういう生き方はしてきませんでした。
時代と関わりながらも、自分をしっかりと生きることはよほどの才能と生命力がなければできることではありません。
ですからふたりとも若くして生命を燃やし終わったのです。
日本人の寿命は、まだまだ延びているようです。
寿命が延びることが幸せなのか。
そんなことも考えてしまいます。
それもこれも暑さのせいでしょう。
そう考えれば気は楽になる。
ところが今日は涼しいのです。
にもかかわらず、時評したくなるような気になりません。
自らの生命力の衰えを認めないわけにはいきません。
そろそろ時評ブログは止め頃なのかもしれません。
自評ブログに切り替えたい気分もありますが、自評では益々読む人はいないでしょうし、持続できないでしょう。
でもまあ、今日は湯島に出かけましょう。
きっとまた新しい出会いがあるでしょう。
今日は恒例のオープンサロンなのです。
よかったら無駄な時間を過ごしに来ませんか。
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