■「つながり」や「支え合い」を育てもし、壊しもするもの
先日、あるNPO関係のメーリングリストが閉鎖されたという話を聴きました。
私は参加していないのですが、その活動にはいささかの共感をもっていたので、とてもショックでした。
閉鎖の一因は、どうもメーリングリスト上での論争のようです。
私は10くらいのメーリングリストに参加していますが、時折、個人を誹謗する論争が起こることがあります。
今週、あるメーリングリストで投稿者の一人が除名されましたが、その主催者がとても寛容な人で、ぎりぎりまで除名を回避しようとしていたのがよく伝わってきましたが、除名された人のおかげで、そのメーリングリストがあまり機能していなかったように思います。
私もそのメーリングリストで一度批判されたことがありますが、批判した人たちがそれなりに社会活動している人たちでしたので、驚きました。
社会活動している人ほど、唯我独尊で非寛容なことは、私の体験では決して少なくありませんが、批判のマナーをわきまえないのはなんともやりきれず、以後、そのメーリングリストにはあまり投稿しなくなりました。
論争とまで行かなくとも、時に不快な投稿に出会うこともあります。
昨日も、平和に関するメーリングリストで、不快な投稿がありました。
その投稿に良識的な返信が投稿されたので安堵しましたが、メーリングリストの怖さを時々感じます。
子どもたちを自殺に追いやる構図が、大人のメーリングリストにもあるのです。
発言している当人には、そうした認識はないのがまたやり切れません。
世間知らずの男性は、まだまだ多いのです。
今の若者たちは、それを反面教師にしているので、逆に優しすぎるのですが。
最近、本を読んでいると、「つながり」「支え合い」などという言葉がよく出てきます。
5年前まではあまりなかったことです。
そういう言葉を使っていて、共感された経験はあまりないからです。
メーリングリストやITは、「つながり」や「支え合い」を育てるものでしょうか。
あるいは「壊す」ものでしょうか。
いささか微妙です。
私はもちろん「つながり」や「支え合い」を育てるものだと思っています。
しかし、近代産業を支えてきた「分業」がそうだったように、メーリングリストもITも「両刃の剣」です。
注意しないと「つながり」や「支え合い」を壊すものとして発展する恐れがないわけではありません。
今朝のメーリングリストの投稿を読んで、言葉の暴力の凄さを改めて考えさせられました。
言葉もまた「つながり」や「支え合い」を育てるものにも壊すものにもなるのです。
バベルの塔の話を久しぶりに思い出しました。
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