■節子への挽歌1033:汗をかくのは良い人、知恵を使うのは悪い人
節子
最近、わが家の補修工事で毎日のようにいろんな人が来てくれています。
今日は外壁の漆喰のメンテナンスの人たちが来てくれていました。
家の周り中に足場ができて、どこに居ようとわが家の中は丸見えになっていますので、落ち着きません。
その人たちへのお茶やおやつの用意もしなければいけません。
幸いにユカがいるので、すべて彼女に任せていますが、毎日、違う仕事の人が次々と、来るのでユカも大変です。
しかし、こういう手仕事をしている人たちは、みんなとても人柄がよくて、接していても気持ちがいいです。
汗をかく量に人の良さは比例し、知恵を使う量に人の悪さは比例する、というのは、私が60年の人生で発見した法則ですが、節子は私に会う前から、この法則は知っていたようです。
私はどちらかといえば、汗よりも知恵のほうが得意でした。
節子はよく私に言ったものです。
「知恵のある賢い人はこわい」
夫婦喧嘩はいつも私の勝ちでした。
にもかかわらず、謝るのはいつも私でしたが。
それこそが、汗と知恵の違いなのです。
節子は知恵が嫌いだったわけではありません。
何しろ私に惚れたのですから。
節子が嫌いだったのは、汗の伴わない、ただの知恵でした。
人間は不思議なもので、惚れた人が望んでいるように自分を変えていくものです。
そうして私は、「知恵離れ」をしました。
私が、善人になった一因は節子のおかげなのです。
節子がいたら、毎日きっと職人さんたちといろんな話をするだろうなと思います。
そして、家の補修や維持に関するたくさんの知恵を学ぶだろうなと思います。
節子は、汗の伴う知恵は大好きだったからです。
節子がそういう場をつくってくれたら、私もその場に入れるのですが、私とユカではまだ少し無理があります。
私は職人の皆さんと話したいと思いますが、節子は話したいなどとは思うことなく、ただただ話すのです。
そこが私との、知恵のある私との違いです。
もう少し節子と時間をともにできたら、そうした生き方を身につけられたかもしれません。
節子がいなくなって、私の世界の広がりの速度は少しおちてしまっていることがよくわかります。
それに、知恵に依存して、次第に悪人になっているような危惧もあります。
困ったものです。
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