■節子への挽歌1034:共体験
節子
DVDで「阿賀を生きる」という映画を観ました。
底流に新潟水俣病訴訟を置きながら、阿賀野川流域での暮らしを描いた映画です。
1992年の制作で、登場してくるのはお年寄りばかりですので、いまはもうほとんどいないでしょう。
人がいなくなっただけではなく、その人たちが営んでいた阿賀の暮らしもまたなくなったということです。
しかし、四半世紀前には、こういう暮らしがあったのだということがよくわかります。
節子と結婚したおかげで、私もささやかながら、そうした暮らしぶりを体験させてもらったことがあるので、映像の向こうまでが垣間見える気がしました。
節子の親元の滋賀県の高月も、まさにそうした暮らしぶりをきちんと残していた地方のひとつだったように思います。
そのおかげで、私の人生はとても豊かなものになりました。
書籍での知識だけの世界ではなく、生きた世界を生きることができたのです。
節子と結婚していなかったら、たぶんこんな豊かな人生は過ごせなかったような気がします。
節子と一緒にこの映画を観たら、どれほど会話が弾んだことでしょう。
そんなことを思いながら、文字や言葉では伝えられない「共体験」という言葉を思いつました。
ネットで調べたら、「共体験」という言葉は、すでにあるようです。
「意図的に体験を共にすることで相互理解を深め、関係を深めていく」というような意味で、使われている事例がありました。
しかし、私が思いついたのは、そういうことではありません。
節子との無意識な生活の共有の積み重ねが、一般には無意味に見えるような、人の仕草や言葉、情景が、とても生き生きした意味を引き出すことがあるということです。
いわゆる「2人だけにしかわからないこと」というものです。
言い方を替えると、過去の「共体験」が今の、さらには未来の世界を豊かにしてくれるということです。
病気になってからの節子の口癖がありました。
「また修との思い出が一つ増えた」
映画の中のお年寄りたちの何気ない言動に、なぜか節子の、その言葉を思い出しました。
節子と私が共体験できなかった、高齢者夫婦の暮らしぶりを、節子はきっと夢見ていたでしょう。
もちろん、私もそれをずっと夢見ていましたが。
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