■節子への挽歌1077:2人の節子
節子
今日、2つ目の挽歌です。
夢を見たことをやはり書いておきたくなったのです。
節子が出てきて、私を元気にしてくれた夢を。
もっともその夢の内容をはっきりと覚えているわけではありません。
目が覚めた時に、そう感じただけなのです。
夢の中にはたしか2人の節子がいたような気もしますが、そもそも夢は現世の小賢しい論理で考えるべきではありません。
時空間が異質なのですから、そのままに受け止めなければいけません。
目が覚めている時に出会う節子は、いつも私を悲しませますが、夢の中に出てくる節子は私を元気にしてくれます。
なぜでしょうか。
夢の中では、「死」さえもが「さばさば」と語られることを体験しています。
今日は「お盆の入り」です。
朝、娘と節子と一緒にお墓に行き、節子を連れてきました。
「節子も一緒に?」、わかりにくい表現ですね。
わが家では、節子はお墓は本籍地で、現住所はわが家の仏壇と決めていますので、お墓参りもいつも節子の位牌に声をかけて、一緒に行くようにしています。
常識的ではないのですが、これは私の文化なのです。
ですから今日も、節子も一緒に節子を迎えに行くというわけです。
迎え火を焚いて、もう一人の節子を迎え入れました。
そういえば昨年もお盆の入りに節子の夢を見たのを思い出しました。
節子が2人もいるので、まあ私がいなくてもいいかと思い、これから湯島に出かけます。
もしかしたら、湯島にも3人目の節子がいるかもしれませんし。
彼岸に行った人は、神出鬼没で付き合うのが疲れます。はい。
| 固定リンク
「妻への挽歌06」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌1200:節子がいない不幸(2010.12.15)
- ■節子への挽歌1199:柳原和子さんに何かあったのでしょうか(2010.12.14)
- ■節子への挽歌1198:私の仕事好きが節子は不満でした(2010.12.13)
- ■節子への挽歌1197:解けない難問(2010.12.12)
コメント