■「民意には従わなければいけない」という論理
民主党代表選はますます混沌としてきました。
テレビを見ていて気になる言葉があります。
「民意に従うことが一番」という言葉です。
前にも書きましたが、「民意」とはなんなのか。
まさか新聞社が行う世論調査ではないだろうと思いますが、どうも多くの人はその意味で使っています。
「民意」といえば「正当化」されるのでしょうか。
20世紀のナチスを思い出します。
どこが違うというのでしょうか。
もっとも「国民の民意」とある地域の「住民の民意」とはかなり違います。
名護市の市長が「民意は辺野古への基地建設を納得していない」と話していますが、これは比較的わかりやすいです。
市長もまた住民であり、しかも選挙で選ばれているからです。
昨夜、守屋元防衛省事務次官が辺野古の建設予定地で、地元の要請を受けて、辺野古への移転を検討したとテレビで話していました。
その取材中に通りがかった住民が守屋さんに、住民は要請なんかしていない、みんな反対なのにそんな要請をするわけはないでしょう、と厳しく反論していました。
それに対して、守屋さんは「住民には知らされずに進めてきた」とテレビのインタビュアーに話していました。
住民に知らせもしないで、住民の要請、民意と言う言葉を使うことに身勝手さを感じます。
当事者が語る「民意」と部外者が語る「民意」とはまったく違うのです。
仮に「民意」が事実としても、それに「従う」だけでいいかは疑問です。
政治は民意に従うだけでいいわけではありません。
時に民意の限界を超えて、状況を変え、新しい方向を導くことも必要です。
もちろん「勝手に導く」のではありません。
表層的な民意ではなく、民意の根底にある方向性を踏まえて、ビジョンに基づき「民意」を育てていく役割もあるのです。
全体が見えていないものには、どうしても「変化への抵抗」感があります。
「民意」は、情報によって変わるとしたら、「民意」は絶対的なものではないのです。
つまりどの次元で「民意」を受け止めるかです。
小澤さんと菅さんとどちらが首相に相応しいか、などといった無意味な質問の答えは決して「民意」とは言わないでしょう。
騙されてはいけません。
民意は「もっと住みやすい社会にしてほしい」と言うことだろうと、私は思いますが、どうしたらそうなるのか、その実体的議論は誰もやらないのが不思議です。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (1)
最近のコメント