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2010年8月

2010/08/31

■「民意には従わなければいけない」という論理

民主党代表選はますます混沌としてきました。

テレビを見ていて気になる言葉があります。
「民意に従うことが一番」という言葉です。
前にも書きましたが、「民意」とはなんなのか。
まさか新聞社が行う世論調査ではないだろうと思いますが、どうも多くの人はその意味で使っています。
「民意」といえば「正当化」されるのでしょうか。
20世紀のナチスを思い出します。
どこが違うというのでしょうか。

もっとも「国民の民意」とある地域の「住民の民意」とはかなり違います。
名護市の市長が「民意は辺野古への基地建設を納得していない」と話していますが、これは比較的わかりやすいです。
市長もまた住民であり、しかも選挙で選ばれているからです。

昨夜、守屋元防衛省事務次官が辺野古の建設予定地で、地元の要請を受けて、辺野古への移転を検討したとテレビで話していました。
その取材中に通りがかった住民が守屋さんに、住民は要請なんかしていない、みんな反対なのにそんな要請をするわけはないでしょう、と厳しく反論していました。
それに対して、守屋さんは「住民には知らされずに進めてきた」とテレビのインタビュアーに話していました。
住民に知らせもしないで、住民の要請、民意と言う言葉を使うことに身勝手さを感じます。
当事者が語る「民意」と部外者が語る「民意」とはまったく違うのです。

仮に「民意」が事実としても、それに「従う」だけでいいかは疑問です。
政治は民意に従うだけでいいわけではありません。
時に民意の限界を超えて、状況を変え、新しい方向を導くことも必要です。
もちろん「勝手に導く」のではありません。
表層的な民意ではなく、民意の根底にある方向性を踏まえて、ビジョンに基づき「民意」を育てていく役割もあるのです。
全体が見えていないものには、どうしても「変化への抵抗」感があります。
「民意」は、情報によって変わるとしたら、「民意」は絶対的なものではないのです。
つまりどの次元で「民意」を受け止めるかです。

小澤さんと菅さんとどちらが首相に相応しいか、などといった無意味な質問の答えは決して「民意」とは言わないでしょう。
騙されてはいけません。

民意は「もっと住みやすい社会にしてほしい」と言うことだろうと、私は思いますが、どうしたらそうなるのか、その実体的議論は誰もやらないのが不思議です。

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■節子への挽歌1094:時間の記憶

節子
この1週間は私にはあまりに重い1週間です。
昨年はこんなではなかったのではないかという気もしますが、それを確かめる気にはなりません。
人には「場所の記憶」とともに、「時間の記憶」もあるようです。
この季節になると心身が動かなくなるといえば大げさですか、そんな気がします。
節子は暑い中をがんばりました。
家族のために、私のために。

5年前までの私の「夏の思い出」はまぶしい太陽の下で節子と一緒に泳いだ海でした。
その「記憶」は、今も私の頭の中にしっかりと残っています。
さまざまな小さなことまで思い出されます。
しかしその記憶はどこか白々しくもあります。
心が動かないのです。

その一方で、暑さの夏にもかかわらず、「寒々とした暗い夜」が心に浮かびます。
音だけの花火、寒いほどの暑さ、声のない静寂、汗を拭く節子。
そして、そこに居るのは、節子に寄り添えていない自分なのです。
なぜもっと節子を抱きしめてやらなかったのか。
なぜ治るなどと確信していたのか。
それを思い出すだけで、心身が動かなくなるのです。
この季節は、私にはとても辛い時期なのです。

意識しているわけではありません。
この季節になると自然と心が穏やかではなくなるのです。
不安、後悔、恥辱、怒り、悲しさ、さまざまなマイナス感情が心身を揺さぶります。
8月末になると、自然とそうした感情が高まってきます。

場所の記憶は避けることができます。
そこに行かなければ思い出さずにすむからです。
しかし、時間はそうはいきません。
どこにいようと、その時間はやってきます。
季節は、そのためにあるのかもしれないと思うほどです。

節子を見送った季節は、私の心身に深く深く刻まれています。
この季節を乗り越えることもまた、節子に再会できる試練の一つなのかもしれません。

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2010/08/30

■現状を変える勇気

民主党代表選の報道を見ていて思うのは学生の頃学んだ「変化への抵抗」ということです。
やはり多くの人は変化を望んでいないのだということです。

もう一つ感ずるのは、やはりみんな「組織起点発想」から抜けられないのだということです。
私のこの30年の活動のすべては、「組織起点から個人起点へ」というベクトルに基づいています。
主役が「組織」や「制度」から「人」に変わるべき時期にきたと考えています。

昨年、政権交代を果たした民主党政権とは何なのでしょうか。
それは鳩山政権でも菅政権でもないはずです。
長年の政権を独占していた自民党政権に変わる組織が政権を担うことになったのです。
民主党は現状とのしがらみは少なく、いまの制度や問題にも比較的自由だったはずです。
その自由な新しい政党をつかって、政権を担うことができるようになったということです。

しかし、その仕組みは残念ながら現状の中への組み込まれていなかったため、実際に何かをやろうとすれば、大きな抵抗に合うのは当然です。
とりわけ現状を変えようとすれば、大変です。
これまでの制度や組織を担っていた人たちは保身のために全力で抵抗するからです。
これまでの政権を輔佐していた上級官僚たちはすべて解雇すればいいだけの話ですが、政権交代を経験していない日本の社会には、その発想すらありません。
やったら国民は間違いなく非難します。
それを示唆しているのが、阿久根市や名古屋市の今の騒動です。
一番恩恵を受ける住民が一番の抵抗勢力になるのです。
此れは歴史の常です。
家畜のように飼いならされた「民」の、それが本性なのです。
そして、社会を壊した人たちは、そのまま残るわけです。
革命であれば即座に追放できますが、法治国家では彼らは見事に守られます.
法治国家とは権力者を守る仕組みなのです。

しかし、政権交代後の2人の首相は、残念ながらその新しい仕組み、つまり民主党という新しい組織や制度を活かすことができなかったか、もしくはやろうとしなかっただけの話です。
だとしたら、新しい仕組みを使い込むだけの思いと力量を持った人が民主党の代表になり首相になるべきです。
そういうことをやろうとする人は、世間からは嫌われるでしょうし、現状を変えたくない人たちやその寄生者たちからは追い落としの対象にされるでしょう。
それを察知した検察は、すでにその行動をすぐに起こしました。
言うまでもなく、それが小沢さんです。

民主党の代表を1年に3人も替えられないという人がいます。
優等生の意見です。
そして、そういう人は代表が変わっただけでは実態は変わらないとも言います。
その発想は「組織起点」です。
彼もしくは彼女は、代表が組織に従属していると考えているわけです。
しかし、組織は人が使い込むものです。
代表が変われば組織は一変する可能性はあります。

日本の現状は、私には壊れているように思います。
時間は無駄にできません。
だから、代表選などやっている暇はないというのではありません。
まったく反対で、時間がないからこそ代表選をしっかりとやらなければいけません。
順番を間違えてはいけません。
組織を使えない人にいくら時間を預けても何も変わりません。
そんな事は会社の経営を見ればすぐわかることです。

昨年の事業仕分けは私も期待しましたが、仕分けしたところで何も変えられなければ、それは現状の延命策になるだけなのです。
書き出せばきりがありません。
欲求不満が溜まっています。
困ったものです。

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■節子への挽歌1093:「愛される生き方」か、「愛する生き方」か

「愛されるものが愛するものを動かす」と言ったのはアリストテレスだそうです。
私は学生の頃からこの言葉には否定的です。
この発想では「愛」がいかにも矮小なものに感じられるからです。

久しぶりに、ある本で、この言葉に出会いました。
そしてその同じ本に「神は、愛されることはあっても、愛することはない」というプラトンの言葉を知りました。
この2つの言葉はさまざまな示唆に富んでいますので、もう少しきちんと書きたいと思いますが、今日は「愛されること」と「愛すること」の関係です。

節子に会った頃、節子に「私は愛されることには全く興味がない、私にとって意味のあるのは愛することだ」と、いかにも気障っぽいことを言ったのを思い出します。
まあよく言ったものだと思いますが、この考えは大学生の頃から今日まで持ち続けています。
私の生き方は、前にどこかで書きましたが、「自動詞」が基軸なのです。
つまり「わがまま」と言ってもいいでしょう。
これは、自信のない弱さの現われかもしれません。
他動詞で生きることは、関係性の中で生きることですが、自動詞で生きることは自分でほどほどに完結できるのです。
たとえば、愛されるという他動詞の不安定さに比べて、愛するという自動詞は自分が主役になれますから、安定させやすいのです。

これは理屈の話であって、現実は必ずしもそうでないことは、30代以降、いろいろと体験しています。
そして「関係性」を主軸に生きるようになったのが30年ほど前からです。
しかし、「愛される」と「愛する」だったら、今でも後者を重視する生き方をしています。

ところで、私がどのくらい節子を愛していたかはわかりますが、節子が私をどのくらい愛していたかはわかりません。
正直に言えば、もう少し愛してほしいなと思ったことは何回かあります。
時に節子は「つれなかった」からです。
私が「もう少し愛してほしいね」というと、節子はいつも笑いながら、「考えておくわ」と応えました。

上記の2つの言葉が出てきた本は里見実さんの「『被抑圧者の教育学』を読む」ですが、その本で里見さんはこう書いています。

私たちの社会で非常に重要視されるのは「愛される能力」であって、「愛する能力」ではありません。能力があったり、美しかったりすると、その人は「愛される」。ある人なり、モノなり、観念なりが備えているメリットが、愛という作用を誘発する、つまり、愛は愛の対象の価値に由来するもの、それによって発生するものである、と考えるのが、私たちの通常の「愛」の観念なのではないでしょうか。
そして、この場合の愛は「所有」への欲求と密接に結びついているというのです。
これは、私が考える「愛」ではありません。
おそらく里見さんが考えている「愛」でもないでしょう。

「愛される生き方」をしたいのか、「愛する生き方」をしたいのかで、人の人生は変わります。
平安な一生を望むのであれば、「愛される生き方」がいいでしょう。
しかし、納得した生き方をしたいのなら「愛する生き方」です。
その場合、愛する相手が突然にいなくなるとどうなるか。
それはまた改めて書くことにします。

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2010/08/29

■ホメオパシー騒動

昨日のホメオパシーの記事へのアクセスがどっと来ました。
このブログはせいぜい毎日300人前後のアクセスなのですが、時々、急増することがあるのです。
しかしまさかホメオパシーでこんなにアクセスが増えるとは思ってもいませんでした。
コメントもいくつかもらいましたが、それへの感想も書きました。

こういうブログをやっているとコメントを時々もらいますが、なかにはコメントだけを書いてその後、2度とアクセスしてこない人も少なくありません。
それに、実名でのコメントは少ないですし、アドレスさえ嘘のものも多いです。
私にはそうしたコメントはまったく無意味だと思いますので、原則としてそうしたコメントは掲載しませんが、まあ事情もあるでしょうから、掲載することもありますが、そうした人は先ず2度とアクセスはしてきません。
コメントした人の痕跡はある程度フォローできるようになっているのです。
匿名を使ってまでコメントしてくれる親切さには感謝しますが、言いっぱなしのやり方は残念です。

コメントやメールを読んでいて、私のメッセージがうまく表現されていないことも反省しました。
他の記事を読んでもらっている人は感じているかもしれませんが、私は「権威」や「権力」の暴力的行使に違和感をもっているのです。
個人としての立場で、物事を断定することには反論する気はありませんが、たとえば日本学術会議の組織の名を語って独断的意見を表明することに反発を感ずるのです。
ノーベル賞受賞が寄ってたかって、事業仕分けを批判したのも私には気に入りません。
批判があれば、個人の立場で言えばいいのです。
組織の中に隠れるのと匿名は、私には同じです。
そんな自信のない生き方はやめたほうがいいだろうにと同情します。

横道にそれましたが、私の違和感は、
「科学的な根拠は明確に否定」「荒唐無稽」
と言う表現です。
科学的な根拠というのも極めて曖昧なことですが、「明確に否定」という表現には驚きます。
これが現在の「学術」を代表する人の口からでてくるとは驚きです。
その根拠を、それこそ聞きたいですが、生命に関わる事象に関してこれほど明言できるのは神様しかいないでしょう。
恐ろしい話だと私は思います。

科学者が主張する科学的根拠で、私たちはどれほどの被害を受けてきたでしょう。
水俣病にしろ、公害にしろ、食品安全にしろ、それは枚挙に暇がありません。
今も私の周りで、その繰り返しが行われていないとはいえません。
科学者の主張する根拠はそう簡単に信じてはいけないというのが私の体験知です。

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■節子への挽歌1092:ホメオパシー

節子
ホメオパシーには科学的な根拠はなく荒唐無稽な民間療法だから使わないように、と日本学術会議が談話を発表し、日本医師会がそれに賛同したという報道が物議を起こしています。
私も、いささかの怒りを感じて、昨日の時評で取り上げましたら、たくさんの人がアクセスしてくれました。
やはり関心は高いのです。

節子も帯津良一さんの指導の下にホメオパシーを受けていました。
残念ながら節子には効果を発揮してくれませんでしたが、少しでも望みがあれば、試してみようと思う気持ちはがんを患った人であればわかってもらえると思います。
でも残念ながら、日本の医療制度に組み込まれたもの以外は、「民間医療」として医師の多くは関心さえ持たないのが現実です。
患者は医師に相談さえできないのです。
今の医師の多くは、病人を治そうと真剣に考えていないことがよくわかります。
こんな言い方をすると怒られそうですが、もし真剣に考えていれば、相談くらいは乗ってほしいですし、もう少し勉強してもいいでしょう。

念のために言えば、節子の主治医の一人は理解を示してくれ、帯津クリニックに通うことを認めてくれましたが、もう一人は相談しようとするだけで不快な顔をしました。
彼女(女性の医師でした)には患者の気持ちなど微塵もわからないのでしょう。
それで病人を治療できるはずがありません。
医師としては失格だと私は思いますが、こういう医師が多分出世していくのです。
まあ医師にはとてもお世話になりましたので、批判は止めたいですが、言いたいことは山のようにあります。
私さえそうだったのですから、節子はそれ以上だったでしょう。
それを思うと辛くなります。

ホメオパシーは具体的にはとても小さな丸薬を定期的に飲むだけなのですが、その丸薬はすべて自然に存在するものを希釈してつくったものです。
毎晩、節子がそれを飲むのを私は手伝うだけでした。
とても小さなもので、しかも直接触ってはいけないので、けっこう面倒だったのです。
そのとても小さな丸薬に、私たちはたくさんの祈りを込めました。
当事者以外の人にとっては、「いわしの頭も信心から」と思えるかもしれませんが、その信心こそが私たちの支えだったのです。
でも人間は小賢しい頭を持っていますから、時に疑ってしまうわけです。
私もそうでした。
最後まで私も確信を確実なものにできませんでした。
それも今はとても後悔しています。

科学的な根拠がないからと言って否定する発想は、たぶん自己否定の発想でしょう。
科学的な根拠などと言うのは実にもろいものです。
いまの抗がん剤にも科学的な根拠があるとは思えません。
科学的なデータや説明資料はありますが、治癒との関係で言えば、あくまでも「確率」の話です。
それもほとんどが「推論」をベースにしています。
人間の心身はそれぞれに個別ですし、全てが開明されているわけではないからです。
今の科学は、所詮は「小さな科学」でしかないのです。
日本学術会議のおごりには、節子を見送ったものとしても、怒りを感じます。

節子はどう思っているでしょうか。

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2010/08/28

■建設国保の偽装加入事件の奥にあるもの

建設国保の偽装加入事件はますます奥が深く、かなりの犯罪的行為が明らかになってきました。
長妻大臣も返還要求をするようですが、肝心の建設国保の責任者たちはテレビで見る限りまったく反省していないようです。
小沢さんの数億円の話ではなく、100億円近い税金が私物化されているのです。
建設国保協会には変換能力がないというので、自治体が補填することも検討されているようです。
しかし悪事を働いた人たちはかなり明らかにできるはずですので、彼らから一人数億円を返却してもらえば済む話です。
数億円は無理だと思ってはいけません。
彼らはそれ以上のお金を私物化してきているのですから、それくらいは大した事はありません。
もし返却できないなら子どもたちにも返済を継承してもらうべきです。
彼らは間違いなく、その恩恵を受けているからです。
それくらいの責任追及体制を作らねば、組織を利用した無駄遣いや悪用はなくならないでしょう。
ともかく組織を舞台した犯罪は、個人の責任はうやむやにしがちですが、それは避けなければいけません。

協会の職員が、そうした不正行為を上司に何回も指摘してきたようですが、聞いてもらえなかったとテレビで語っていました。
そして「こんなどうしようもない組織は解散させられても仕方がない」と話していました。
自らの職場がなくなることを否定していないのです。
組織トップとまったく人としての格が違います。
上司と言われる人たちに、この十分の一の責任感があれば、こんな犯罪的行為は起こらなかったでしょう。

しかも、この仕組みをそもそもつくったのは森元首相などの自民党の政治家です。
この種のものが山のようにあるのです。
それが自民党独裁政権の結果なのです。
今の自民党議員は、そうした負の遺産をどう思っているのでしょうか。
盗人猛々しく、民主党を批判するだけでいいのかと思います。
建設国保の偽装加入事件などは、盗賊国家の官僚たちの犯罪のほんの一部でしかないのです。

小沢一郎もそうした政治家であり、そうした仕組みづくりに加担してきたのではないかといわれそうです。
たしかにそうでしょう。
しかし、彼はそうした政治を壊そうとしてきたことも事実です。
なぜ彼がこれほど執拗に壊そうとしているのか、私にはとても興味があります。
おそらくお金まみれの政界のど真ん中にいて、その奥を覗いてしまったからではないかと思います。
その奥に何を見たのか。
私には少しわかるような気がします。
それを見ても危機を感じない政治家もいました。
小泉純一郎はその一人でしょう。
主体性のない彼は、いとも簡単に日本を売ってしまったのです。

だんだん私の妄想の話になってきてしまいました。
困ったものです。すみません。

それにしても、小沢首相が実現すると日本は壊れるなどと言う町の人がテレビにはよく出ます。
テレビのディレクターが出しているのでしょうが、日本は既に壊れていますから、いかに豪腕な小沢さんでももう壊すことはできないでしょう。
壊れた状況で起こる変化は、必ず創造に向かいます。


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■節子への挽歌1091:とてもうらやましい来客

節子
昨日、とてもうらやましいお客様が来ました。
会社時代の同僚の増山さんが久しぶりに湯島に来てくれたのです。
節子も会ったことがあるはずですが、増山さんとは職場や仕事が一緒だったことはないのですが、なぜかお付き合いが続いています。
人の付き合いは本当に不思議なものです。

増山さんは私よりも年上ですが、今は大阪にお住まいです。
今回は東京に4日ほど滞在なのだそうです。
奥様もご一緒だそうで、いまはそれぞれに人に会っていて、私に会った後、落ち合うのだそうです。

私がうらやましく思ったのは、この4日間の増山ご夫妻の過ごし方です。
それぞれがこれまでお付き合いのあった人たちに会ってまわっているのだそうです。
2人の共通の知人にはお2人でお会いになっているようです。
ですから私のところにも別に用事があったわけではありません。
2時間ほどお話して、ところで今回は何か用事があったのですかと聞いたら、そのことを教えてくれました。
私は会社時代の友人として選ばれたようです。
実に光栄です。同じ職場でもなかったですし、年下でもあるのですが。
いかにも増山さんらしいと思いました。

そのことを聴いた時に、増山さんは別れに来たのだろうかと一瞬思ってしまったのですが、奥さんもご一緒だと聴いてどっとうらやましさが高まりました。
夫婦の人生を確認しながら、時には別々に、時には一緒に、此れまでに心に残った人と歓談の時間を過ごす、なんと贅沢な旅でしょう。
私も、節子とそんな旅をしたかったと思います。

実は節子が病気になってから、節子は昔の友だちに会いに行きだしました。
私もそれに同行させてもらいました。
みんなとてもあたたかく節子を迎えてくれましたし、みんなそこからまた新しい付き合いが始まるだろうと思っていたはずです。
節子と同世代の友人たちは、みんな子どもたちも独立させ、生活を楽しむ時期に入っていた頃だからです。
そしていろいろな付き合いが始まりだしました。
しかしそれは長くは続きませんでした。
おそらく節子に会った友人たちはやせたとはいえ元気そうな節子を見て、思ってもいなかった人が少なくないでしょう。
節子はあまりにも早く逝ってしまったのです。

増山さんの話を聞きながら、なぜあの時に、もっとたくさんの人のところに節子と一緒に行かなかったのだろうかと後悔しました。
私は、人生の前にしか興味のない人間でした。
だから節子の思いをきちんと理解できなかったのかもしれません。
良い夫だと思っていましたが、どうもできの悪い夫だったようです。
彼岸に行ったら、この埋め合わせをしなければいけません。

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■ホメオパシーを否定する学術会議への怒り

8月24日、日本学術会議は民間療法ホメオパシーについて、「科学的な根拠は明確に否定され、荒唐無稽」という談話を発表しました。
日本医師会など6団体もそれに賛同したと報道されています。
ホメオパシーを受けている人が通常の医療を拒否して、死亡したり症状が悪化したりした疑いの濃い例が相次いで表面化したことが、この談話の契機になったようです。

私は妻を胃がんで見送りました。
いわゆる通常の医療のほか、民間療法も併用しました。
ホメオパシーは帯津良一さんのクリニックで受けていました。
残念ながら妻に限って言えばホメオパシーの効用はありませんでした。
ちなみに帯津さんは、日本ホメオパシー医学会の会長でした。
私は前からホメオパシーのことは知っており、文献的な知識はありました。
しかし実際に処方を受けてみて感じたのは、正直に言えば、大きな疑問でした。
アマチュアリズムの独りよがりを感じたのです。

それでも私はホメオパシーを否定する気にはなれません。
がんを患った方の多くは経験すると思いますが、通常の医療の限界を超えるために、「民間医療」に期待したくなります。
しかし、そこでぶつかるのは評価できないという悩みです。
かかっている医師は、ふつうは相談には応じてくれないでしょう。
私の妻の場合は、最初の主治医だけは理解を示しましたが、相談までは無理でした。
失礼ながら知識がないのです。
2番目の主治医は、そんなことを口に出そうものなら診療拒否にあいそうな人でした。
要するにみんな「専門バカ」でしかないのです。
医療ではなく、近代医学にしか興味はないのです。

今回のホメオパシー拒否の動きに、近代医学帝国主義を感じます。
民間医療が正しいというつもりはありませんが、近代医学だけが正しいわけでもありません。
もし自らに自信があって、しかもその限界を自覚できるのであれば、たとえ民間医療であろうと長年それなりに続いている医療の知恵に対して、もっと謙虚であるべきです。
全面否定ではなく、一緒になって、そこに秘められた知恵を活かすと共に、自らのあり方を謙虚に問いただすことが望まれます。
「民間医療」がこれほどに広がっているのは、今の近代西洋医学の限界と無縁ではないのです。
そして、治療を求める当事者(医療の主役は医師ではなく病人だと私は思っています)は必死に治療の道を探しています。
自分の世界だけで安住している医師とはまったく違うのです。
その人たちの視点で、少なくとも、ホメオパシーを含む民間医療のことを学び、一緒になってお互いを活かしあう医療を目指してほしいです。
自らを守るために、代替物を否定する、あるいは無視する傲慢さを捨ててほしいです。

ホリスティック医療や統合医療は、まだまだ一部のサブシステムでしかありませんが、本来はそれこそが医療の本流でなければなりません。
学術会議や医師会の不勉強さと傲慢さに怒りを感じます。

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2010/08/27

■政治とカネ

小沢さんの代表選出馬は、相変わらず不評のようです。
しかしこれほどまでに悪評なのはどうしてでしょうか。
小沢さんの顔の表情を見ていると、この人は悪い人ではないなといつも思います。
ただ私は好きになれないのですが。

小沢さんをこれほどの悪者にしたのはおそらくマスコミではないかと思います。
その奥にはアメリカの権力を感じますが、皮肉なのはその権力とは「お金」そのものだということです。
政治とカネとよく言われますが、小沢さんはカネの世界で正面から戦っているのでしょう。
その先駆者だった田中角栄は見事に蹴落とされましたが、小沢さんは残りました。
これも不思議な話です。
今の政治家のほとんどは、カネの世界にいるはずです。
クリーンな選挙や政治活動をしている人がいたら教えてもらいたいものです。
いるはずがないと私は思っています。
自民党は論外として、民主党もお金で作られた政党ではないかと思います。
共産党は違うかもしれませんが、それ以外はカネまみれであることはそう大差ないような気がします。

ところがそうしたカネにきっぱりと決着をつけた政治家が出始めました。
たとえば名古屋市の河村市長です。
名古屋市議会の人が、河村さんを独裁者にたとえましたが、それを聞いた河村さんは「質素な独裁者などいないでしょう」と答えました。
彼の年収は800万円。自分で決めたのです。
河村さんの持論は減税から政治改革は始まるというものです。
つまりカネの世界から抜け出よというわけです。
私にはとても納得できます。

消費税増税などとんでもない議論だと思います。
まずはやるべきことがあるのです。
それを国政レベルでやれるのは小沢さんしかいないかもしれません。
おざわさんがそれで数十億円をポケットに入れたとしても、そんなはした金はどうでもいいことです。
自分で実感できる程度しかみんな考えを持てません。
政治とカネの問題は、数十億円、あるいは数百億円といった、はした金の話ではないのです。

私たち貧乏人には実感できないのが残念です。

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■節子への挽歌1090:庭に鳥の巣を発見しました

花や鳥になってちょいちょい戻ってくる。
節子はそう書きました。
その頃は、節子はあまり話せない状況だったのです。
震える手でノートに書いて、家族に見せたのです。
私たちにとっては、とても辛い思い出の一つです。

庭の木の枝に鳥の巣ができているのをユカが見つけました。
小さな木なのですが、少し伸び過ぎたので切ろうかと思っていた矢先の発見です。
すでにヒナが孵っており、親鳥がやってくるとくちばしだけが見えます。
写真を撮ろうとしてもなかなか成功しません。
またいい写真が撮れたら入れ替えます。
Nest3

この鳥は節子でしょうか。
子連れでやってきたのが節子だとするといささかの問題が発生しますが、まあそれは大目に見ましょう。
庭の木、それも節子が好きだった山もみじの枝に鳥が巣を作ったのです。
まだ何の鳥か見極められていませんが、小さな鳥です。

節子が鳥になってと書いた時には、なぜ「鳥」なのか、私には不思議でした。
花や蝶と言ってほしかったのですが、なぜか鳥でした。
節子は大きな鳥は好きではありませんでした。
庭に小さな餌付け台があり、冬にはそこに果物などを置くのですが、大きな鳥がやってくると節子はむしろ追い払っていました。
スズメなどの小さな鳥が節子は好きでしたが、小さな鳥は大きな鳥に追われることが多かったからです。
節子はいつもスズメなどの小さな鳥を応援していました。
節子は私と同じく、弱いものを自分の仲間と思うタイプでした。
自らも弱い存在だったからですが、同時に弱さの価値も感じていたからです。
鳥も花も、もちろん人も、「強い人」より「弱い人」が好きでした。
もっとも「強い」と「弱い」は、往々にして外観とは正反対のことが多いのですが、そんなことは詮索することなく、ただ小さくて弱々しく見えるだけで、節子は素直に仲間になれたのです。
そうした節子の不思議な一面から私はさまざまなことを学びました。

ヒナが巣から飛び立つのはいつでしょうか。
それまではしばらく、節子かもしれない鳥たちに毎日会えるかもしれません。
もうじき節子の3年目の命日です。
今年は自宅でゆっくりと過ごすつもりです。
節子かもしれない鳥たちとともに。

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2010/08/26

■小沢さん出馬にホッとしました

民主党代表選挙に小沢さんが立候補を表明しました。
国民の意に反する立候補だとあんまり評判は高くないです。
しかし、国民の意に沿うことの意味がどれほどのものかは、この10年で痛いほどわかったはずなのですが、懲りない「国民」は相変わらず、後生大事にマスコミのアンケートや論調に自らの「意」を託しています。
いささか自虐的に言えば、最近の日本人のほとんどは自らの「意思」など持っていないようにも思います。
それは言いすぎかもしれませんが、少なくとも、何も考えていない人たちに、勝手に「国民の意思」などと気楽に話してほしくないものです。

私は、いまマスコミで語られているような意味での「政治と金」には興味はありませんし、「この困難な時期に代表選でもないだろうに」と言う意見にも組しません。
経済も社会も大事だからこそ、一国のリーダーを選ぶことが大事なのですから。
ダメな人は3か月でも決して短くはないのです。
私が菅さんに見切りをつけたのは1週間もかかりませんでした。

もっとも政策面のこれまでの発言に関していえば、私は管さんのほうが好きですし、小沢さんは私の考えには全く合いません。
唯一共感できるのは、約束は守るべきだという点のみです。
政治思想も政治手法も、私には共感できるものはほとんどありません。
にもかかわらず、今の状況を変えるという点で、私は小沢さんの登場にホッとする気持ちを持ちます。
それほど他の政治家がどうしようもなく私には見えてくるのです。
まるで小学校の学級会を観ているようです。

1年前には鳩山さんに期待し、いまは鳩山さんにまったくの期待をしないことに象徴されるように、私の政治家を見る目は極めてお粗末ですが、ともかく何かが動き出すような気がします。
自民党も民主党も実質的に解党し、政界は新しい局面に入っていってほしいものです。
今日はずっとテレビの報道番組を見続けていましたが、いろんなことが見えてきます。

並行して、パウロ・フレイレの「被抑圧者の教育学」に関する本を読んでいました。
抑圧社会と言う言葉の意味がよくわかりました。
非人間化の落し穴に落ちないように、自戒の念を強く持ちました。

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■1089:チビ太と霊界

最近、わが家のチビ太が夜鳴きをします。
昨夜は特にすごく、下りていったら荒い呼吸をしながら外のほうを見て吠えているのです、
まるで何かが見えているようだと、ユカはいいます。
チビ太には霊界が見えているのかもしれない、時々、そんな気がします。
そばにいると鳴き止むのですが、離れるとまた鳴きだします。
そんなわけで、この数日、睡眠不足です。
ひどいときは1時間以上つき合わされます。

犬は人間と比較すると、聴力も嗅覚も桁違いに優れています。
予兆能力もあると言う人もいます。
わが家のチビ太は先週16歳(人間年齢では90歳前後かもしれません)になったので、かなりその種の能力は落ちてきていると思いますが、時々、不思議な動作をするのです。

ギリシア神話やエジプト神話では、犬は冥界の象徴とされています。
エジプトのピラミッドの壁画によく出てくるアヌビスは死者の導師とも言われます。
犬は霊界とどこかつながっています。
わが家のチビ太も、霊界や彼岸とつながっていないともいえません。

実は節子を見送った後、悲しそうにしているチビ太を見たことがありません。
何と薄情な犬だと私としてはいささか腹が立ちましたが、もしかしたらチビ太にとっては、彼岸も此岸も見えていて、今でも節子を感じられるのかもしれないのです。
渋谷のハチ公にとっては、実は最後まで飼い主と一緒だったのかもしれません。
前にそんなことを思ったこともあるのですが、最近のチビ太の動作を見ていると、どうも彼は此岸だけで生きているのではないのではないかという気にもなります。

夜吠え出して、一点を見据えて身体を震わせているチビ太をみると、その向こうに彼岸があって、節子がいるような気もします。
まあしかし、夜突然吠え出して起こさないでほしいと思います。
最近は寝不足続きで、機嫌が悪いのです。
今週お会いした人には結構八つ当たりしているかもしれません。
それはチビ太のせいなのです。

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2010/08/25

■節子への挽歌1088:見えない存在

節子
相変わらずの暑さです。
そんななかを久しぶりに福岡のNさんが湯島に訪ねてきてくれました。
最後にお会いしてから間違いなく10年以上は経過しています。
そのNさんから突然連絡があったのは一月くらい前でした。

Nさんはスピリチュアルな感受性の強い方です。
といっても、実はある大手企業の社員だったのが社内起業制度を生かして、ご自分で起業したビジネスマンでもあります。

Nさんは入ってくるなり、私のブログを読んで、家族のあり方を考える契機になったと言ってくれました。
そしてご自身の姉妹の話を聞かせてくれました。
Nさんも、人のいのちと深く関わっているのです。
とても通ずるところがありました。

Nさんと霊界をつなげているのは「クモ」だそうです。
お姉さんの回復を13仏に祈っていたら、阿弥陀と観音と勢至のまさにその3体の前に3匹のクモが下りてきて、とまっていたというのです。
以来、何かとクモがメッセージをくれるのだそうです。
私たちの世界に張り出してきているのを感じるとNさんはいいます。
主語のない言葉ですが、とてもよくわかります。
世界は決して見えるものだけではないのです。

その、言葉にならない「何か」に私たちはあたたかく包まれているのです。
しかし、それはなかなか実感できません。
実感できれば、不安など消え去ってしまい平安になるのですが、小賢しさを身につけた私たちはなかなかそう確信できないのです。
それに、おかしな言い方になりますが、その「あたたかさ」は時に残酷なほどの試練を与えてもくれるのです。

久しぶりに会ったNさんとは心が通ずることがありました。
もしかしたら節子が呼び寄せてくれたのかもしれません。
最近、何か不思議なことがよく起こります。

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2010/08/24

■節子への挽歌1087:未発のドラマ

節子
最近、若い世代の人たちに会う機会が増えています。
若いといっても20代から30代と幅はあるのですが、この歳になると30~40代はみんな同じように感じます。
若い世代に会っていると昔の私を思い出します。
彼らが私と同じだということではありません。
むしろまったく反対で、私がしたくてもできなかったこと、さらには思いもしなかったことに取り組んでいる姿を見ながら、とてもまぶしく思うのです。
そういう若者たちと話していると、私自身の生き方がとても「小市民的」に感じて、恥じ入りたくなるのです。
そこで、「もしも」と考えるわけです。
もしも20代に節子と会わなかったらどうだっただろうか、と。

人間とはドラマだ、と語ったのはオルテガです。
学生の頃の私は、ドラマや物語に憧れていました。
さまざまな物語を考えました。
完全犯罪の物語を考えたこともあります。
もちろん実行はしませんでしたが。

節子に会っても、ドラマ志向はありました。
ドラマは登場人物のキャラクターで変わってくるものです。
節子は私のドラマの主役になってしまいました。
そして私のドラマはホームドラマになってしまったのです。
もし節子がソクラテスの妻のような人であれば、私は哲学者になれたかもしれません。
山之内一豊の妻のような人であれば社会的に成功したかもしれません。
しかし節子は、そのいずれでもありませんでした。
ですから私のドラマは平和なホームドラマになったのです。
それは間違いなく節子に会ったせいです。
節子とつくりあげた家庭は、あまりに居心地が良すぎたのです。

ホームドラマの多くは、ハッピーエンドです。
しかし私のホームドラマはハッピーエンドにはなりませんでした。
主役がいなくなるという、とんでもない事態が生じてしまったからです。
戸惑ったのは私だけではありません。
娘たちも戸惑いました。

「お母さんがいたらなあ」というむすめの嘆きを聞くのが一番辛いです。
しかし、実は私も「節子がいたらなあ」と嘆きたいのです。
節子がいたら、ドラマの第3幕に取り組むはずだったのです。
そのために仕事に区切りを付けたのですが、その時に節子の胃がんが発見されたのです。
ドラマの第3幕は少しだけホームドラマから広がるはずでした。
しかしそのドラマは「未完のドラマ」ではなく「未発のドラマ」になってしまいました。
節子と2人で準備したドラマは、節子と共に見送ってしまったのです。

さて節子のいないドラマをこれからどう続ければいいでしょうか。
今はまだ「幕間」です。
このまま終わるかもしれませんが。

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2010/08/23

■250人の意見交換会

さまざまな不祥事発覚が続いている日本相撲協会は、今日、親方や力士、行司ら約250人が参加する意見交換会を開催しました。
ところが参加者からの意見はほとんどなかったようです。
日本相撲協会も問題がありますが改革に取り組んでいる人たちの意識も見えてきます。
だれもたぶん本気では考えていないのでしょう。
第一、問題の立て方が間違っているのです。
そのためいつも対象も順番も違うのです。

野球賭博問題も、正直に申告すれば軽い罰則で済ますという告知のもとで行われたにもかかわらず解雇される力士がでるほどの処罰が行われました。
それでは規範意識は維持できませんし、本音で話す人はいなくなるでしょう。
そもそもこうした文化をつくり見過ごしてきたのは、組織役員とその監視役たちです。
琴光喜さえもが、私には被害者に思えます。
加害者は、文部科学省も含めて、そして外部委員も含めて、組織のトップたちです。
そうした人たちが襟を正スことからすべては始まるはずです。

第一、これだけの不祥事を重ねながら相撲界のトップや関係者は、ほとんど意見を表明していません。
相撲で優勝した時でさえ言葉少ない文化を彼らは自慢にしてきたような気がしますが、そんな文化の中で急に250人も集めて意見を交換しろなどという発想は馬鹿げています。
要するに形を整えたいと思っただれかの私欲によるものでしょう。
組織変革に少しでも関わったことがある人なら、そんなことは考えません。
ということは、今回の意見交換会の目的は違うところにあるのかもしれません。

相撲界に限らず、こういう動きが最近は多すぎます。
民主党の代表選もそうかもしれません。
そういう視点でニュースを見ていると違った側面が見えてくることもあります。
嫌な時代になりました。

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■節子への挽歌1086:第三の他者

節子
最近、思考力が弱まっているのは暑さのせいだけではないのかもしれません。

「私は他人を通してしか考えることができないし、他人に向かって、そして他人なしには思考することができないのだ」
これはパウロ・フレイレの言葉です。
フレイレは「変革」を目指す人には知れ渡った人のようですが、私は恥ずかしいことに今年になるまで意識したことのなかった人です。
読み出したのは、つい最近です。
その主張にあまりに強く共感できるので驚いています。

フレイレは、人は他者との対話を通して主体を形成していくというのです。
これは、もちろん私の考えでもあります。
人は話すことによって考え、話すことによって自らを育てていきます。
私が話し合いの場としてのサロンが好きなのは、こうした考えを確信しているからです。

「他者」には3つの他者があるように思います。
一般的な意味での他者、つまり自分以外の存在が第一の他者です。
もう一つは、自らの中にいる他者としての自分です。
そして、最近、もう一つの他者がいることに気づきました。
それは、他者であって他者でなく、自らであって自らでない存在です。
そういう人は、すべての人にいるわけではありません。
私もこれまでの人生において、そういう存在がいたのはおそらく20年弱でしょう。
いうまでもなく、それは節子ですが、節子が私にとっての「第三の他者」になったのは、たぶん私たちが40代後半になってからです。

私たちは「対話する夫婦」でした。
よく話しました。
もちろん喧嘩もしましたし、学びあいもしました。
しかし、フレイレがいうように、それぞれの相手を通して考え、相手を通して行動するようになったのは2人とも40代後半になってからです。

その相手がいなくなったことは、私の思考の世界を貧しいものにしてしまったような気がします。
最近そのことに気づきました。
娘たちとの対話も、もしかしたら貧困化しているのかもしれません。
おそらく娘たちはそれを感じているでしょう。
伴侶を失ってしまうことで失うものはたくさんあるようです。
世界は間違いなく狭くなってきています。
それに抗うことはできません。
ただただ慣れるだけです。

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2010/08/22

■言説の貧困化

言説の貧困化とは、「スキャンダラスでセンセーショナルで些細な事柄にもっぱら気を取られるようになること」だと、いま話題のマイケル・サンデルは言っています。
まさに日本の最近のマスコミの状況です。

今日は久しぶりにテレビの政治報道番組を見ましたが、相変わらずの状況で、見ていても元気が出てきません。
登場する政治家は最近かなり変わってきて、半年前までのタレント化した政治屋ではない、ビジョンや誠実さを持った政治家が少しずつ登場してきているように思いますが、キャスターやコメンテーターは相変わらずの「貧困な視野と発想」に安住しているので、なかなか建設的な議論にはなりません。
政治を浪費しているマスコミや学識者には腹立たしさを感じますが、それを見ている水伍している私たちが一番悪いのかもしれません。

しかしキャスターやコメンテーターや政治記者が、「国民は小沢さんが代表戦にでるのをまったく望んでいない」などと発言するのを聞くと(何回も聞きましたが)、本当にそうなのかと思います。
少なくとも私は小沢さんに首相をやってもらいたいと最近思い出しています。
首相が頻繁に変わるのはみっともないという意見にも疑問があります。
確かにみっともないとは思いますが、そんなことを言えるような状況ではないのです。
形にこだわっている段階ではもはやありません。
政治をダメにしているのは、いわゆる政治有識者だと私は考えていますが、せっかくテレビで政治番組を組むのであれば、そうした政界の寄生者たちなど除外して、対立ではなくお互いに知恵を出し合い、新しい政策を創発するような番組をつくってほしいものです。
一時期、新鮮に感じた報道ステーションの古館さんも、政治寄生者たちに洗脳されたのか、滑稽な役回りしかできなくなってしまったのは残念です。

マスコミには言説は不要だという人もいるでしょうが、貧困化した言説は、実は大きな言説と無縁ではありません。
格差社会とは、単に経済的な格差だけが問題なのではないというのは、サンデルの白熱授業にも出てきますが、言説においても明らかな二重構造が生まれているのです。

大きな言説のもとに。貧困化された言説を読み解くと、面白い実相が見えてくるような気がします。
そこには「産業のジレンマ」の構造が感じられさえします。
いささか極端にいえば、そこでは言説の反転が発生しているのです。
これは実に面白いテーマです。

それにしても、なぜこれほどに、テレビや新聞は、「スキャンダラスでセンセーショナルで些細な事柄」ばかりを執拗に報じるのでしょうか。
そこに働いている意図を読み解かねばいけません。

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■節子への挽歌1085:人はお互いに心配しあう存在

節子
北九州市の松尾さんから久しぶりに電話がありました。
私が仕事を再開したことを知って喜んでくださいました。
どうやらいろいろな人に心配をかけているようです。

松尾さんは節子の仲良しの一人です。
以前一緒にヨーロッパ旅行に行った4人組の一人なのです。
みんな全国に散らばっているのですが、とても仲が良く、家族単位でお付き合いさせてもらっていました。

その松尾さんから、仕事が再開できてよかったですね、といわれました。
節子がいなくなってからの私は、どうも皆さんにとって心配な存在だったのかもしれません。
昨年、テレビのニュースでも私を見て、元気そうだったので安心したとも言ってくれました。
自分では気がつきませんが、こうしてみんなに心配されているのです。

これは決して私だけのことではありません。
人はお互いに心配しあう存在なのです。
そのことに気づけば、「無縁社会」などという言葉を使う気にはならないはずです。
無縁社会は私たちが勝手につくりあげた幻想でしかありません。
しかし、言葉は逆に現実を育ててしまいかねません。
この頃、改めてそう感じます。

節子は松尾さんに、「修さんはナスが大好きなんです」と言っていたそうで、
ナスを見るとそれを思い出すと、松尾さんは電話で話してくれました。
たしかに私はナスとキュウリが大好きなのです。
ナスとキュウリはお盆の時に節子が使う乗り物でもありますが、この季節はわが家の食卓には欠かせないものです。
今日もユカが、ナスの煮浸しとナスのお味噌汁を作ってくれました。
残念ながら食べるのは、今では私だけなのですが。
しかし、ナスが好きなことまで節子は話していたのですね。
私は節子のことを友人知人にはあまり話していませんが、どうやら節子はいろんな人に私の話をしているようです。
困ったものです。
でもそのおかげで、節子の世界と私の世界は今もなお、さまざまにつながっているのかもしれません。
私の知らない節子の話を聞くことは、とてもうれしいことで、元気が出てきます。

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2010/08/21

■節子への挽歌1084:挽歌を書けない日

節子
昨日は時間がなくて挽歌が書けませんでした。
今日は時間があったのですが挽歌が書けませんでした。
2日つづけて抜けるのは避けたいので、書いておこうと思います。

昨日と一昨日、長野をバスで回りました。
節子と行ったバスツアーで見た風景と重なる風景を何回も見ました。
それがどうも挽歌を書く気力を萎えさせてしまったようです。

挽歌を書くことで、思いを発散させ、気を鎮めることが出来ます。
それが、私がこの挽歌を書き続けている一番の理由です。
しかし、書き出すといろいろなことが頭に浮かんできて、とまらなくなることがあります。
時に抜けられないほどの奈落へと引き込まれることもあるのです。
自分の不甲斐なさ、自分の愚かさ、自分の身勝手さが、身の置き所もないほどに重く圧しかかってくるのです。
たぶん経験したことのある人はわかってもらえるでしょう。

それを節子が望んでいない事は百も承知です。
しかしだからこそ、節子がいとおしく、自らに嫌悪を感じます。
そうした状況にはいるとおそろしいほどに気は萎えていきます。

昨日までの2日間は観光旅行ではなく、NPOが主催した真面目な視察旅行でした。
暑い中をハードなスケジュールをこなしてきたのです。
しかし長野をバスで回ると節子との思い出がどうしてもでてくるのです。
それが無意識に心身に積み重なったのでしょうか。
最後には夕陽まで出てきました。
きれいな夕陽だとみんなが声に出していました。
私には夕陽はまだタブーです。

挽歌を書き出したら崩れそうなほど、今朝は気が弱まっていました。
それが挽歌を書こうという気になれなかった理由です。
まあこういう日もあるのです。
1日を過ごして、少し気は鎮まりました。
挽歌を書いて気が鎮まる日もあれば、書かないで気が鎮まる日もある。
人は理屈では動かないものです。

明日は元気に目覚めたいと思います。

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2010/08/20

■川と暮らしの距離

2日間、NPO法人新潟水辺の会が主催した、信濃川大河塾ツアーに参加しました。
信濃川および千曲川、さらにその上流の犀川につくられた7つのダムとそれによって無水状況や減水状況が発生している河川の現状を見るのが目的でした。
学生を対象にしたツアーでしたが、実際にはシニア大学の学生も多く、20代から80代まで、参加者は多様でした。
しかも全工程、河川工学の良心的な権威でもある新潟大学名誉教授の大熊さんはじめ、さまざまな専門家が同行し、レクチャや現地の解説をしてくれました。
まあとても贅沢なツアーなのです。

たくさんの発見がありましたが、私たちの暮らしがリアルな現場世界から切り離されていることを改めて思い知らされました。
そうした状況の中で、いくら環境が大切だとか持続可能性を考えなければとか、いっていても問題は解決しないような気がします。
たとえば、今回、ダムの見学に便宜を図ってくれた東京電力の説明資料に「川はいのちの源」と書かれていました。
事実、東電はダムにたまる膨大な生活ごみをていねいに除去し、それをリサイクルしていました。
ダムの現場で汗を流しながら、働いている人たちは実際にそんな思いで川の汚れをなくそうと日々努力しています。
ですから「川はいのちの源」と東電の関係者は思っていることは間違いないのです。

しかしその一方で、発電のために川からダムに取水するために、ダムの下流はかなりの長い距離に渡って無水状況が生じます。
水はたまっていますが、流れてはいませんから、暑さで水温は上昇し、そこに生息している魚などの生物は生きていけません。
比較的大きなダムの下の淀んだ水に、鯉あるいはブラックバスが泳いでいましたが、この夏の暑さではいつまで生存可能か心配です。
しかし、ダムの制御は個々のダム現場を離れた中央制御室で行なわれています。
今では多くのダムは無人なのです。
制御盤を見ているだけでは現場の生き物は見えてきません。
つまり、言葉や理念としての「川はいのちの源」といのちに無頓着な行動とは東電の人たちには何の違和感もないのです。

それは東電の人たちに限りません。
ダムが川をダメにしていると思ったという若者に、そのダムと自分の暮らしのつながりは感じましたかと聞いたら、即座に感じなかったと答えました。
そこには企業で働く人たちと同じ発想の構造があるのです。

千曲川はまだ流れていましたが、犀川はところどころが流れが切れているのです。
同行した若者は「川の死体」と表現しましたが、たしかに「川は生きている」などとはとてもいえません。
しかし、生きていないのは川だけではないのです。
その涸れた河川には人の暮らしのにおいが全くしないのです。
無水の川は無人の川でもありました。
魚もいない死んだ川には人は寄り付かないのは当然ですが、昔は流域に住む人たちの暮らしを支えていた川に背を向けた現代人を感じました。
川に支えられていた文化もまた死んでしまったのです。
いささか極端ですが、河川が死んでも私たちは生きていけるようになってしまったのです。

川を殺したのは、電力に依存する生き方をしている私たちです。
現場を見る前は、私はダムをつくり川の水を可能な限り収奪した企業や経済に不信感を持っていました。
しかし今回現場を見て思ったのは、結局は私たちの生き方なのだと改めて気づいたのです。
その認識がない限り、問題は解決しないのではないかと思ったとたんに疲れがどっと出てきました。
敵は本能寺にではなく、自らの中にいたのです。

こんな感想を書くと、このツアーを企画した水辺の会の人たちには怒られそうですが、そこから出発しないといけないのではないかと、今回は珍しく謙虚になりました。

環境問題ほど悩ましい問題は、私にはありません。
地球温暖化などと訳のわからないことウィ馬NPOに、まずは自分の生き方を見直したいと痛感しました。
そのせいか、元気がなかなか出てきません。

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2010/08/19

■節子への挽歌1083:家族が欠けると何かが変わります

節子
新潟に来ています。
今日から2日間、信濃川のダムを見て回る予定です。
新潟水辺の会主催のイベントツアーなのですが、そのNPOの顧問をさせてもらっている関係で声をかけてもらいました。
自然をめぐるツアーにはまだ少し抵抗はあるのですが、そろそろそうした心境からも抜け出なければいけません。
今日は朝6時40分新潟駅集合なので、昨夜から新潟に来ています。
そんなわけで今朝は6時前に起床しました。

昨夜は上野を午後5時前の新幹線に乗ったのですが、乗る頃から空に雲が増えだしました。
沿線もずっと雲が多く、車窓からの風景がなぜかとてもさびしい感じでした。
こんなことを書くとまた感傷的だと笑われそうですが、実にしんみりしてしまいました。
やはり一人での新幹線は、いろんなことを思い出してしまい、元気が萎えます。
仕事の関係で新幹線にはよく乗りましたが、思い出すのはなぜか節子と乗った旅行のことです。
隣に節子がいないのが、やはり心に堪えます。

昨夜は新潟にいる友人と一緒でした。
その人も、私と同じように家族の別れを体験した人です。
家族が欠けることは心に深く残ります。
それは理屈ではありません。
意識の世界でさえないのかもしれません。
ともかく何かが変わるのです。
そのことを体験すると同じような体験をした人のことが無性に気になるのです。
そんなわけで、ずっと彼のことが気になっていたのですが、久しぶりにゆっくり話ができました。
とても元気でした。
おかげで私も元気をもらえた気がします。
美味しいお寿司までご馳走になってしまいました。 

そろそろ出発です。
自然を歩くと節子のことをいろいろ思い出すでしょう。
それが少し不安ですが、まあ歩いていれば元気が出てくるでしょう。

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2010/08/18

■節子への挽歌1082:愛するとはどういうことか1

節子
いまハーバード大学のマイケル・サンデル教授の「正義」をテーマにした講義が話題になっています。
ハーバード大学史上最多の履修者を出した講義だそうです。
今年の春にNHKのテレビでそれが放映されて多くの人が見たようです。
私は見落としましたが、幸いに今週再放送をしているため、毎日、見ています。

講義の内容それ自体は大学の講義ですから、そう示唆に富んでいるわけではありません。
むしろ退屈と言うべきかも知れません。
しかし、講義での教授と学生のやりとりは実に面白いのです。
節子がいたらきっと私と一緒にみたはずです。
そしてそこからいろいろと議論が始まったかもしれません。

今日、挽歌で取り上げたのは、そうしたことでも、またその内容に関することでもありません。
「愛する」ということの意味についてです。
今日の講義で語られた「愛」は、愛国心でした。
愛国心そのものは、悩ましいテーマですが、私は明快な考えを持っています。
それに関しては時評編で何回か書きました。
今回書こうと思ったことは、「愛とは求心的なものか、遠心的なものか」ということです。
そんなことがサンデルの講義で語られていたわけではありませんが、テレビを見ていて急にその問題が頭に浮かんできたのです。
求心・遠心というよりも、排他的か包摂的かといったほうがいいかもしれません。
何かを、あるいは誰かを愛することは、そのほかのものを排他することかどうかということです。
もしそうであれば、愛することは憎むことの反面ということにあります。
このテーマは、以前一度書こうとしてやめていました。
少しこの問題を考えてみようと思います。
暑さでいささか思考が途絶えていますので、少し脳を活性化しなければいけません、

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2010/08/17

■節子への挽歌1081:暑さ寒さも分かち合える

節子
融けるほどの暑さといっても過言ではないほどの暑さです。
私たちの寝室には、節子も知っているように、クーラーはありません。
さすがに暑いので、昨夜は私の嫌いな扇風機を持ち込んでかけつづけていましたが、あまり効果はありません。
これほどの暑さを、私は体験したことがないような気がします。

寒さもそうですが、暑さも一人でしのぐのはつらいものです。
節子が一緒の時には、暑さも寒さも、それぞれに楽しい体験にすることもできました。
そのためか、こんな暑さは記憶がないのです。
一人住まいにはクーラーは必要かもしれません。

人生の苦楽は伴侶がいればこそ分かち合えるものだということが、こんなことからもわかります。
苦楽はともかく、暑さ寒さも分かち合えるのかと思う人がいるかもしれません。
私の体験では、分かち合えるのです。
寒さはともかく暑さもか、としつこく疑問に思う人がいるかもしれません。
私は確信を持ってそうだと言えます。
どうやって、という質問への答えは簡単です。
「暑くて眠れないよ」といえばいいだけなのです。
そして眠らなければいいのです。
「暑さ」を共有する人がいるだけで、人は暑さを克服できるのです。
嘘だと思ったら、試してみてください。
効果がなければ、それはみなさんの夫婦仲がよくないためでしょう。
暑さ対策よりも夫婦対策を考えたほうがいいでしょう。

残念ながら、今の私には暑さを分かち合う節子はいません。
どうしたものでしょうか。
部屋の外のベランダに水をまいてみました。
あんまり効果はなさそうです。

娘たちは、クーラーのある1階で寝たらと言います。
でもそれもまた億劫です。
ここはやはりどんなに暑くても、節子との寝室で眠ることにしましょう。
節子、もし暇だったら、暑気払いに、幽霊にでもなって出てきてくれませんか。
その冷気で寝室を冷やしてもらえるとうれしいです。

さて今夜は眠れるでしょうか。
いささか不安ではあります。

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2010/08/16

■節子への挽歌1080:送り火の後のさびしさ

お盆で帰宅していた節子をみんなでまた送りました。
ジュン夫妻も来てくれました。
ジュンのパートナーの峰行さんは、これまであまり法事などに出たことがないので、積極的にこうした行事に参加したいといってくれています。
節子と結婚した頃の私と少し似ています。
私も実際の仏事には疎かったのですが、節子の実家での法事で集まった人たちがみんなで読経するのを目の当たりにして、興味を引かれたのです。
そして、節子からいろいろと教わりました。
もっとも「書籍論」的には私のほうが詳しかったのですが、書籍上の知識が具体的な現実につながることで、お互いに学びあえたのです。

そんなこともあり、私も一応は少しだけ仏事への知識もあるのですが、そのわずかばかりの知識を少しずつ披瀝しているわけです。
もっとも私の流儀は、きわめて私的なのです。
仏壇やお墓の前でも手をたたきます。
節子は最初嫌がっていましたが、それが私の流儀であることを認めて、黙認してくれるようになりました。
ですから私が伝授するといささか危ういのですが、その危うさも含めて伝えるようにしています。

夕方、お寺に送り火に行ったのですが、いつもになく大勢の人がいたような気がします。
この文化はまだきちんと残っているなとうれしく思いました。

帰宅して精霊棚を片付けました。
なぜか急にさびしさが襲ってきました。
不思議です。
節子はやはりわが家に常在しているのではなく、彼岸にいるのでしょうか。
それにしても、このさびしさはいったい何なのか。
昨年までは体験したことのない気持ちです。
お盆時にはよく節子の実家に帰省していましたが、その頃の風景もなぜか思い出されるのです。
節子がいるうちに思い出さなかったのに、なぜ送り火の後にそれが思い出されるのでしょうか。
いなくなってようやくその大切さに気づくという愚かしさは、今も直っていないようです。

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■これからの正義の話をしよう

マイケル・サンデルがハーバード大学で行っている講義「正義」が話題になっていましたが、残念ながらその放送を見損なってしまっていました。
書籍になったので読み出しましたが、まったく退屈の上に、視野がとても狭い気がして、途中で読むのを止めてしまっていました。
ところが、今日からまたテレビで再放送が始まりました。
小林正弥さんが解説していると聞いていたので、彼がどう解説しているかにも関心があり、見てみました。

実に面白いのです。
あっという間の2時間でした。
まだ10時間あります。
残りも見ようと思います。

本とはまったく違うのです。
聞いていた通り、学生とのやりとりが中心です。
本ではそういうライブな雰囲気が出てきませんが、対話型の講義であることがよくわかりました。
一番感心したのは、学生が自分の考えを臆することなく述べていること、そしてサンデル教授が発言者に名前を聞き、それを最後まで覚えていることでした。

これに類した講演を以前、何年か私もやっていたことがありますので、その大変さはよくわかります。
それを楽しみながら、しかも理路整然とやっているサンデル教授には感服しました。
大学の教授とはこういうものなのだと感心した次第です。
日本の大学でも、こういう講義が行われているのでしょうか。
千葉大学の小林さんはこういう講義をしているとお聴きしていますが、私の周りにいるほかの教授はどうでしょうか。
こういう授業であれば、聴くほうも話すほうも楽しいでしょうし、お互いに学びあえるでしょう。

それにしても、若い学生たちの発言はそれぞれに教えられます。
この講義での主役は、サンデルではありません。
学生たちなのです。
サンデルは,まさにプロデューサーであり、編集者です。

大学の可能性を改めて感じました。
途中で投げ出していた本も、読み直すことにしました。

もしNHKハイビジョンが見られるテレビをお持ちであれば、ぜひ明日から見てください。
毎日2時間ずつ。今週中放映されます。
見ると元気が出てきます。

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2010/08/15

■節子への挽歌1079:節子だけが帰宅したお盆

節子がせっかく此岸にもどってきたのに、暑いお盆でした。

お盆はそもそもは餓鬼道に落ちて苦しむ母親を救うために始まったといわれますが、最近では7代前までの祖先への思いを表すものになってきています。
といってもわが家の盆棚には節子しか居場所がありません。
節子の両親は滋賀の実家に、私の両親は兄の家に戻っているからです。
13日に迎え火でわが家に迎えたのも節子だけです。

お盆だけではなく、私が子どもの頃までの日本の行事の多くには世代をつなぐ時間軸がありました。
正月に始まる節句も、その基本は「家族」でした。
それがいつの間にか、「個人」単位へと変わっていきます。
祭がイベントになってしまってきたように、家族行事もまたイベント的になってきてしまったのかもしれません。
そういう動きに私はむしろ加担してきたような気がしますが、歳のせいか最近は逆に違和感を持ち出しています。
人は勝手なものです。

私の場合、7代先を思って話し合おうにも話す題材も話す相手もいません。
両親が戻っている兄の家にも行きましたが、どうもそういう話にはなりません。
どこかで私は生き方を間違っていたと、今日は痛感しました。
若い頃の私は、古来の伝統に否定的で反発していました。
いまはそのことをとても悔やんでいますが、その生き方を正してくれる節子はもういません。
それがとても残念です。

お盆は自らの生き方を問い直すいい機会なのかもしれません。
節子とそういう話ができないのがとても残念です。
節子がもう少し長く居てくれたら、私の生き方はもう少しまともになっていたと思うのですが。

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2010/08/14

■節子への挽歌1078:心があたたまる花束

節子
隣のMさんが立派な花束を届けてくれました。
受け取った娘に、「お母様にはとてもお世話になったのでお供えしてください」と言ってくれたそうです。
Mさんは昨年も一昨年も、立派な花束を供花してくださいました。
そして、いつも、「とてもお世話になったので」と言ってくださるのです。
もう3回忌も終わったのに、今年も立派な花束です。

節子は転居して2年ほどで発病しました。
発病後はあまり近隣との直接のお付き合いはなくなりました。
ですからMさんとの付き合いは決して長くはありません。
その上、Mさんは娘の世代に近いですから、付き合いも深かったわけではありません。
にもかかわらずMさんは毎年供花してくださいます。
そして、そのたびに私の脳裏に浮かぶ風景があります。

以前一度書きましたが、転居したての頃、帰宅したらMさんの小さなお子さんがわが家でちょこんと座っていた記憶があります。
Mさんのところが留守で鍵がかかっていて、帰宅した彼女が家に入れなかったのでわが家で休んでもらっていたのだそうです。
節子は「よけいなお世話」が好きだったのです。
まあ、私が子どもの頃はそんな風景はいくらでもありましたから、節子にとっても私にとっても、なんでもないことだったのですが、Mさんにはもしかしたら、そうしたことがうれしかったのかもしれません。

いまも節子には時々、花束が届きます。
こんなことを書くととても失礼なのですが、どんな花束よりも、私にはこのMさんの花束がうれしいです。
節子の、とてもあたたかな生き方を思い出させてくれるからです。
それになぜか毎年、その花束は、節子の雰囲気を感じさせてくれるのです。
あたたかくて、そのくせ時に辛らつで、でもあまりかしこくなく、ミスが多くて、でもいつも笑っていた節子。
その節子を思い出せる花束を見ているとやはり涙が出てきます。

私の脳裏に浮かぶ「ちょこんと座っていた女の子」もいまはもう大きくなってしまいました。
明日はお盆です。

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■日韓併合100年首相談話に異を唱える人たちへの違和感

韓国併合条約発効100年を迎えるのを機に、過去の植民地支配への反省や未来志向の日韓関係を築く決意などを柱とする首相談話を閣議決定しましたが、それに関してまたさま私にとっては、何の違和感もない談話ですし、ようやく日本の政府も自信と誇りを持ち出したと好感が持てるのですが、それとは反対の受け止め方をする人も少なくないようです。
談話に批判している人たちの顔ぶれを見ると、やはりそうかと思えるのですが、もう少し自らに自信を持ってほしいものです。
謝罪することは自信と信念の現れですし、未来もまた謝罪から始まるのです。

とりわけ違和感があるのは、「朝鮮王室儀軌」の返却についての反対論です。
政府も「返還」ではなく「引渡し」と小賢しい言い回しをしていますが、言葉の言いまわしにこだわるような外交はもう卒業してほしいです。
個人の生活レベルで考えれば、返却するのが当然です。
それをしないでおいて、国民に詐欺窃盗を諭すのは、私には滑稽にしか思えません。
筋は通さなければいけません。
「朝鮮王室儀軌」に限らず、正統な持ち主に返すべきものは返すべきです。
盗人に政府は託せません。
過去の首相経験者が盗人のような発言をしているのをテレビで見るのはあまりいい気持ちはしません。

権力者が盗人になるのは防ぎようのない現実かもしれません。
しかし盗人を権力者にするのは避けられるはずです。

この談話騒動を見ていると、水俣病の補償や被爆者補償と同質なのを感じます。
この問題にどう反応するかは、その政治家の立ち位置を示唆しています。
外交と内政は別のものではありません。
あたかも別だと思わせるような言質に騙されてはいけません。
政治の目的は一つです。
誰のための政治か、の「誰」をどう捉えるか、それが問われる時代になってきました。
終わった政治家には退場してほしいものです。

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■降圧剤がもう1週間も切れています

実は先週、高血圧対策として飲んでいる降圧剤がなくなってしまいました。
まあ数日はいいだろうと飲まずにいましたが、今週の月曜日に薬をもらいにいつものクリニックに行きました。
ところがなんと今週は夏休みなのです。
そのため、さらに1週間、降圧剤なしの生活をする羽目になりました。
降圧剤は一度飲みだしたら途中で止めてはいけないといわれていましたから、少しは気になっていたのですが、まあ大丈夫だろうと他の薬局にいくことなく過ごしてしまいました。

しかし、1週間以上も薬を飲まないとなると少し気になりだしました。
降圧効果のあるという豆乳を買ってきてもらい、飲んでみましたが、やはり私の嗜好ではありません。
それでまあ、自宅にある血圧計ではかってみることにしました。
高いといえば高い、正常といえば正常の数値です。
そもそも血圧などは意識で動かせるものだという思いが、やはり私にはあります。
薬は不要ではないかという気がしてきていました。

しかし、昨日の激論(友人とかなりの激論をしてしまいました)がよくなかったのか、帰宅後、疲れが極度に出てしまい、頭痛までしだしたのです。
パソコンをやろうと思ったら、手までしびれてくる感じです。
これはよくないと昨夜は少し心配になりました。
でもまあ今朝起きたら調子がいいのです。
血圧を測ったら、それなりに高いのですが、何回も測っているうちに低い数値が出たので、その記録を正式データとすることにしました。
世の中のデータと同じで、数値というものほど現実を説明しないものはないのです。
データ、数値が説明するのは現実ではなく、仮説、つまり使う人の主観的な世界です。
それに、人間の身体は、その程度にいい加減な、柔軟なものなのです。

さて、今日はまた来客です。
人に合う時は、低血圧よりも少し高血圧のほうがおおかもしれません。
でもまあ今日は激論はしないように、心静かに対応しようと思います。

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2010/08/13

■孤独死問題への取り組み方

孤独死が最近またテレビでよく取り上げられます。
今日も取り上げられていました。
この問題に関しては、どうしたら孤独死を避けられるかという問題設定が多いのですが、その捉え方に違和感があります。
問題は「孤独死」ではなく「孤独死を引き起こす私たちの生き方」ではないかと思うのです。

今日は細菌学の専門家の大学教授と話し合う機会がありました。
またいつか書くことがあると思いますが、自殺の問題に関しても議論しました。
私は、このブログでも書いていますが、「自殺のない社会づくりネットワーク」を昨年、仲間たちと立ち上げました。
仲間の多くは自殺防止あるいは自殺予防に取り組んでいる人たちです。
しかし私の関心は「自殺」ではありません。

問題の立て方によって、活動の結果はまったく違ったものになります。
私の問題意識は「自殺防止」ではなく「自殺のない社会」です。
これはまったく違うものですが、なかなか理解してもらえません。
それと同じく、「孤独死対策」も「孤独死防止」ではなく「孤独死のない社会づくり」を問題にしなければ事態は変わりません。
そのことを最近テレビや新聞を見ながら痛感しています。

実は私も今年は「孤独死」のテーマに関わろうと思っています。
しかしどうも踏ん切りがつかないのは、この違いをどれだけわかってもらえるかです。

自殺や孤独死に限りません。
福祉や環境の問題に関わっていると、こうしたことに行き着きます。
問題の設定をどうするか、それこそが問題なのです。

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■非電化工房

電化生活が社会を壊すきっかけになっているのではないかという暴論を書きましたが、今朝、テレビで「非電化工房」の活動を知りました。
電化生活のよさを前提にしながら、しかし非電化生活のよさも考えようという活動をされているところです。
ネットにいろいろと出ていますので、ぜひお読みください。
たとえば、その工房が開発したものの中には電気を使わない冷蔵庫もあります。
ちょっと古い記事ですが、BPnetの「電気を使わない非電化という選択肢」という記事をお読みください。

とても共感しました。
知っている人も多いのでしょうが、不勉強で私は知りませんでした。
もしまだご存知でない方がいたらと思い、書かせてもらいました。

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■節子への挽歌1077:2人の節子

節子
今日、2つ目の挽歌です。
夢を見たことをやはり書いておきたくなったのです。
節子が出てきて、私を元気にしてくれた夢を。
もっともその夢の内容をはっきりと覚えているわけではありません。
目が覚めた時に、そう感じただけなのです。
夢の中にはたしか2人の節子がいたような気もしますが、そもそも夢は現世の小賢しい論理で考えるべきではありません。
時空間が異質なのですから、そのままに受け止めなければいけません。

目が覚めている時に出会う節子は、いつも私を悲しませますが、夢の中に出てくる節子は私を元気にしてくれます。
なぜでしょうか。
夢の中では、「死」さえもが「さばさば」と語られることを体験しています。

今日は「お盆の入り」です。
朝、娘と節子と一緒にお墓に行き、節子を連れてきました。
「節子も一緒に?」、わかりにくい表現ですね。
わが家では、節子はお墓は本籍地で、現住所はわが家の仏壇と決めていますので、お墓参りもいつも節子の位牌に声をかけて、一緒に行くようにしています。
常識的ではないのですが、これは私の文化なのです。
ですから今日も、節子も一緒に節子を迎えに行くというわけです。
迎え火を焚いて、もう一人の節子を迎え入れました。

そういえば昨年もお盆の入りに節子の夢を見たのを思い出しました。
節子が2人もいるので、まあ私がいなくてもいいかと思い、これから湯島に出かけます。
もしかしたら、湯島にも3人目の節子がいるかもしれませんし。
彼岸に行った人は、神出鬼没で付き合うのが疲れます。はい。

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■節子への挽歌1076:悲しみとの同化

節子
25年前の昨日は日航ジャンボ機墜落事故が起きた日でした。
この事故は私たちにも衝撃的で、いつもこの季節になると節子と話題にしていたことを思い出します。
そのせいか記憶がいまでも実に生々しく、もう四半世紀も経つのかという気がします。
私でもそうですから、遺族のみなさんはいまなお癒えることのない悲しみのなかにいることでしょう。

遺族のみなさんの会の事務局長の美谷島邦子さんが、最近出版した「御巣鷹山と生きる」(新潮社)のなかに書いている文章が、昨日の読売新聞の「よみうり寸評」に紹介されていました。

「人は悲しみに向き合い、悲しみと同化して、亡くなった人とともに生きていく」

悲しみとの同化、心にすっと入ってくる言葉です。
悲しみが感じられないほどに悲しい私のいまの心境に通じていると思いました。
ところが少したって気づいたのですが、同化している主体は何なのでしょうか。
この文章からいえば、「人」になります。
人は悲しみに向き合い、そして人は悲しみに同化する、とわけです。
私のことで言えば、私が悲しみに同化するというわけです。
となると、私の存在そのものが「悲しみ」ということになります。
そう考えるとちょっと違うような気もしてきます。

美谷島さんに異を唱えようと言うのではありません。
この美谷島さんの気持ちはよく理解できるのです。
だからこそ、最初にこの文章を読んだ時には素直に共感したのです。
でもなぜか、その言葉が気になってしまい、余計なことを考え出してしまったのです。
そして、この文章の「悲しみ」を「愛する故人」と読みかえるとすっきりするなと気がついたのです。
「亡くなった人」も、その意味は「愛する故人」ですから、つまりはこうです。

「人は愛する故人に向き合い、愛する故人と同化して、愛する故人とともに生きていく」

私の場合で言えば、こうなります。
「亡き」は不要ですが、意味を明確にするために加えてみました。

「私は亡き節子に向き合い、亡き節子と同化して、亡き節子とともに生きていく」

つまりこういうことです。
愛する人を失った人にとっては、「悲しみ」と「愛する人」とは同じものなのです。
同化するのは、私である前に、愛する人と悲しみなのです。
愛する人が「悲しみ」をすべて背負って、その象徴になるのです。
ですから、愛する人を失う悲しさを体験してしまうと、もはやそれ以上の「悲しさ」はなくなってしまいます。
不謹慎な言い方ですが、地球が破滅しても悲しくはないのです。

しかし、人生において、「悲しさ」がなくなってしまうほど悲しいことはありません。
ですから、悲しみが自分と同化してしまうと言ってもいいのかもしれません。
自分も愛するものも悲しみも、全てが一体化してしまう。
こう考えると実に今の私の心境にぴったり会います。

このように、ちょっとした「言葉」に反応してしまうようになったのも、節子がいなくなってからです。
いつか書いたような気がしますが、愛する人を見送ると、人は哲学者になるのです。

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2010/08/12

■節子への挽歌1075:一番辛い時期が一番幸せなのかもしれません

昨日、言及したYHさんのメールには。その文章の前にこう書かれていました。

佐藤さんが 一年経ったころが一番辛かったと書いていらっしゃいましたが その通りですね 同年齢の楽しそうなご夫婦を目にすると 思わず ぼーとたたずんでしまいます
  そうなのです。
ただただ動けなくなる、そんな気分になることがあるのです。
私の場合、それは羨望でも嫉妬でもなく、ただただ悔いと自らへの怒りなのです。
そして、なぜ節子がとなりにいないのか、そんな思いが心身を凍らせます。

私の経験でいえば、節子を見送ってからしばらくは、周辺の風景は見えませんでした。
見えてきたのは半年くらい経ってからです。
そして、「同年齢の楽しそうなご夫婦」の姿も目に入ってきだしたのです。
「一年経ったころが一番辛かった」というのは、そういう意味です。
自分を取り戻し、節子がいなくなった世界と向き合わねばならなくなったのです。

ところがです。
自己防衛の本能が働くのでしょうか、私の場合は、そうした風景が次第にまた見えなくなってきました。
となりにいる節子の姿はもちろんまだ見えてはきませんが、「楽しそうなご夫婦」が不思議と私の視野からは消えています。
なぜでしょうか。
理由はわかりませんし、うまく説明はできません。
仲のよさそうなご夫妻に出会うことはもちろんあります。
しかし、不思議とそこに視線や思いが止まることはないのです。
言い換えれば、「楽しそうなご夫婦」を見ている自分がいないのです。
これは「意志」の問題ではなく、「心身の現実」です。
人の心身は個人の意識を超えていることを、節子がいなくなってから度々実感します。

ところで、YHさんは1年目、私は3年目です。
たしかに、YHさんには「一年経ったころが一番辛かった」と書きましたが、残念ながら、3年経ってもやはり辛さはそうは変わりません。
YHさん すみません。
しかし、人は辛さにも慣れるものです。
慣れたくはない、と思ってはいますが、慣れてしまう。
それがまた辛いわけです。

もしかしたら、一番辛い時期が一番幸せなのかもしれません。
そんな気がしてなりません。

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2010/08/11

■節子への挽歌1074:複雑なひがみ

この挽歌を読んでくださっているYHさんは、1年前に伴侶を見送りました。まだお会いしたことはないのですが、時々いただくメールの言葉に感ずることも少なくありません。
先週いただいたメールにあった次の文章もその一つです。

平均寿命が延びたと聞くと 腹立たしく その怒りがそのまま自分自身に向かってきます。
実は私も同じような思いを感ずることがあります。
なんとまあひがみっぽくなったのだろうと、われながら思いますが、YHさんが書いているように、なぜか怒りさえ感ずるのです。
愛する妻に、平均寿命さえも全うさせられなかったのかという敗北感を、平均寿命が延びたと喜んでいる世相が逆なでしてくるのです。

まわりの人が幸せになれば自分も幸せになるだろう、というのが私の信条ですし、これまでは実際にそうでした。
誰かの笑顔を見れば楽しくなるように、幸せは必ずつながっています。
だとしたら、平均寿命が伸びることは喜ばしいことです。
そんなことはよくわかっているのですが、なぜか素直に喜べない自分がいる。

まさか私がそんなことを考えているなどと思っている人はいないでしょう。
でも恥ずかしいことに、そうなのです。

寿命の話に限らず、こうした「ひがみ」状況に陥ることが、時にあります。
敗者のひがみなのかもしれません。
平均寿命を全うしないからといって敗者とはいえない、そう思うことそのものが「ひがみ」だといわれそうですが、「敗北」は節子ではなく、守ってやれなかった私の敗北なのです。
そういう意識を持つことは、節子への冒涜かもしれないという気持ちもあるのですが、どうしてもその敗北感から抜け出られないのです。
敗北感があると世界はひねくれて見えてきます。
そしてますます自己嫌悪が強まり、気が滅入っていく。
深い深い穴の底にいるような気分です。

この曲がってしまった「ひがみ根性」を正さなければいけません。
しかしこれまた不条理なことに、それを正してくれることができるのは、節子以外にはいないでしょう。
つまり彼岸に行くまでは直らないのです。
バカは死ななきゃ直らない、という言葉がありましたが、まさに今の自分はそうなのかもしれません。

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2010/08/10

■節子への挽歌1073:もっとましな夫、妻がいればよかったと思ったことはありますか?

節子
昨日、ジュンが小学4年の時の日記を見つけてきました。
そこにはかなり「ひどい父親像」が書かれていました。
いやはや、困ったものです。
家の親は子どもとちっとも遊んでくれん、と書いてありました。
そんなはずはなかったのですが、そういう時期もあったのかもしれません。

ジュンの両親(つまり私たち夫婦です)に対するアンケート調査結果も出ていました。
そこにこんな質問がありました。

「もっとましな夫、妻がいればよかったと思ったことはありますか?」

困った子供です。
答は、私は「いいえ」なのですが、何と節子の答えは「はい」なのです。
いやはや、節子は私に不満だったようです。
困った女房です。
もっとも理想の夫の質問には、節子は二谷英明と私の名前を書いていますが。

この時はまだ私たち夫婦は40前後だったでしょうか。
当時の私はおそらくあまり良い夫でも良い父親でもなかったのかもしれません。
しかし、私の考えのせいで、わが家の親子は友達関係を目指していました。
その弊害が、実はいま出ているのかもしれません。
ともかく「親の権威」がまったくないのです。

日記を読んでいるとわが家の当時の雰囲気がよくわかります。
節子の笑い顔も見えてきます。
読んでいて、改めて節子は良い女房だったと思います。
私の生き方を、いささかの違和感を持ちながらも、支えてくれていたのです。
しかし良い母親だったかどうかは、私が良い父親だったかどうかと同じく、疑問はあります。
私たちはあまりに夫婦関係を軸にしすぎていたのかもしれません。

ジュンの日記を読んでいて、いろいろと心が痛くなりました。
この日記の頃で、時間が止まっていたら、と勝手な思いを持ってしまいます。
ちなみに、節子が残したたくさんの日記を、私はまだ開けずにいます。

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■コモンズを荒らした犯人

韓国にいる佐々木さんからのメールに次のような話がありました。

中国の内蒙古へ行った時聞いた話しです(もう10年以上になりますが)。
遊牧民は2ヘクタールだかの土地を貰い、遊牧しながら生活できるような政策で優遇されていたとか。
ところが電気が入り、ラヂオが入るようになると、現金収入が必要となり、放牧の羊を増やすようになります。
テレビを入れたい、冷蔵庫もとなると、更に羊を増やすようになります。
そうすると、放牧のために循環していた草地から、羊の数が多くなり、草が生えなくなっていきます。
生活が元に戻らなくなって、町に働きに出るようになり、オートバイが必要となり、奥さんまで外で働かなくてはいけなくなってしまいます。
物質は、いろいろ揃っても、それまでの家族や近隣の関係はドンドン失われていくと。
読んでいて、コモンズの悲劇を思い出しました。
前にも書きましたが、コモンズの悲劇とは「誰でも自由に利用できる共有資源は乱獲によって枯渇してしまう」という話です。
内蒙古の話は、なにがコモンズの悲劇を起こしたかを教えてくれます。

羊の数を増やしたらその世話が大変でしょうが、なぜか現代のほとんどの人は羊の数を増やそうとします。
羊の数を増やすことは、経済成長ですが、なぜかみんな経済成長を望みます。
しかし、それは決して「人間の性(さが)」ではないと私は確信しています。
その習癖を植えつけた犯人は、なんと「電気」だったのです。
いいかえれば電化生活への憧れです。
それを実現するために、羊を増やし、町にまで働きに行かねばならなくなった。
やはりどこかおかしいです。

最近、暑いのでオフィスに行くのも億劫です。
わが家のチビ太(犬です)は、暑いのか日中は横たわって寝てばかりです。
チビ太のように無為に過ごすのと、何かしていないと罪悪感を持ってしまう私と、どちらが豊かなのかはわかりませんが、少なくとも最近の私たちの価値観を根本から問い直す必要があるような気がします。

チビ太を真似て、明日は怠惰に寝ていたい気もしますが、オフィスでいくつかの用件があります。
行かないと関係者に迷惑をかけます。
でも本当でしょうか。
私が行かないといけないと思っているのは私だけかもしれません。

佐々木さん
すみません。
もっと本質的な啓示を受けたつもりが、書いているうちにわけがわからなくなってしまいました。
チビ太を出したのが敗因ですね。
チビ太は、昔の遊牧民よりも幸せかもしれません。
涼しくなると吠え出して、散歩に連れて行けと要求します。
いま吠え出しました。
電化生活よりも豊かな生活かもしれません。

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2010/08/09

■節子への挽歌1072:石と野草

節子
ささえあいネットワーク事務局長の福山さんが上高地に行ってきたといって野沢菜漬けを持ってきてくれました。
そこにいくつかのおまけがついていました。
上高地の石と上高地の高山植物の本です。

節子は福山さんには会っていないでしょう。
にもかかわらず彼女は節子のことを知って、わが家まで献花に来てくれました。
節子とはかなり違うタイプでありながら、とても似ているところがあるのです。
たとえば、この上高地のおまけのお土産です。

わが家にも上高地の石と流木の破片があります。
高山植物の本もありますが、節子は野草が好きでした。
違法なのですが、時に道端の実生の花の芽をこっそり摘んでくることもありました。
こういう観光客が自然を荒らしていくわけですが、節子はその実生の芽を大切に育てましたから、ついつい私も見逃していました。
もっとも最近はきちんと販売しているところが多くなりましたから、違法行為をせずにすみました。
福山さんがそうした「違法行為」をしていたかどうかは定かではありませんが、おまけに持ってきたものがあまりに節子的なものだったので、笑ってしまいました。

石といえば、これもまた「違法」かもしれないのですが、私もまた同じような「盗み癖」がありました。
ペルーのパチャカマに行った時には遺跡の砂をこっそりともって来ましたし、エジプトやイラクに行った時も石の破片を持ち帰ってしまいました。
持ってきても整理するわけでもないので、今やもうほとんどはどこの石かわかりません。
節子はどんな遺跡に行っても、泥の塊だと言っていましたので、まったくその通りです。節子は遺跡の石や泥には興味を持ちませんでした。
節子の興味は、石そのものの形や色合いでした。
上高地であろうと湯河原の海岸であろうと、節子が選んだのは石そのものがもっている特徴でした。
ですから私とは思いはまったく違います。
その節子の石も今や庭などに散在してしまっています。
それについて話し合う相手がいなくなってしまったからです。

自然のものは、結局は自然に還っていく。
私も、そうやって自然に還っていくのでしょう。
そう思うと、心が安らぎます。

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2010/08/08

■なぜみんな「お金を稼ぐこと」にこだわるのか

先週はいろいろな場面で「お金を稼ぐ必要性」に関する話がでました。
相手は70代から20代まで、世代もさまざまなら立場もさまざまな人たちです。
みんなどうして「お金を稼ぐこと」に、そんなにこだわっているのだろうと思います。
お金がないと不安なのです。
しかしお金があることで不安を感じている人も多いはずです。

私の知っている事例では、身寄りが少ないためもあって老後のためにとせっせとお金を貯めてきたところ、それが数億円になったら、逆にいろんな人が寄ってきたという話があります。
その人に寄ってきたのではなく、お金に寄ってきたのです。
お金があってもいいことなどありません。

それでもお金がなかったら不安だとみんな思うでしょう。
不安を増大することが経済発展の原点ですから、そうした不安感を蔓延させるのが、昨今の時代意識です。
そうしたなかでは、お金よりも人のつながりなどと言っても実際にはなかなかそう動く人はいません。
しかし考えてみてください。
友人がたくさんいる人が不幸になった事例を皆さんはご存知ですか。

友人が多いようでも、お金がなくなるとみんな離れていくという人もいます。
実際にそういうことを私も見ていますが、それは友人ではなく、お金の臭いに集まっていただけの話です。
私のところにも、以前はいろんな人が来ました。
それなりに活躍していた時期もありますので、お金のにおいがしたこともあるのでしょう。
しかし私と付き合っていても一銭の得にもならないと気づくと、ぷっつりと来なくなります。
そうした人の名前を後で新聞などで見ることもありますが、そういう人は成功しても何の連絡があるわけでもありません。

私が10年前から信条の一つにしている「金の切れ目が縁のはじまり」は、こうした私自身の体験から生まれたものです。

お金を稼ぐことへのこだわりは、ほんの一つの例でしかありません。
私たちは、いくつかのこだわり(固定観念)のもとで生きています。
それを改めて吟味する時期に来ています。
たとえば消費税は不可避だとか、介護を背負っていたのは女性だとか、環境保護のためにリサイクルしなければいけないとか、核抑止力は今なお有効だとか、NHKは公共放送だとか、地球温暖化は防がねばならないとか、ゆとり教育は学力低下につながるとか、農業は産業だとか・・・・。
まあ見直してみたら新しい発見もあるかもしれません。

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■節子への挽歌1071:生命には「愛」は不可欠

節子
暑さのせいもあって、最近、花が少なくなっています。
今日は盛期を終えた胡蝶蘭とオレンジのユリだけです。
吉田さんからの花基金もあるので、花は欠かせないのですが、夏は難しいです。

庭の花も今年はとても少ないのです。
庭の献花台の周りも、少し寂しい感じです。
いつもは見事に咲き続けているノウセンカズラも、家の補修で枝が折れてしまい、ほとんど花をつけませんでした。
今日、娘に言われて気がついたのですが、挽歌でも書いたことのある夜香木も枯れてしまったかもしれません。
節子が悲しむ顔が思い出され、祈るような気持ちで水をやりました。
被害甚大ですが、これから秋に向けて少しずつ節子の庭を回復していければと思っています。

しかし、節子がいなくなってから、庭の花木ももしかしたら私と同じように元気を失ってしまっていたのかもしれません。
生命力を失えば、悪条件には勝てません。
水が不足しただけでも枯れてしまうのです。
生命には「愛」は不可欠です。
植物は動物以上に愛に敏感に反応するような気がします。
毎日手入れしていた節子がいなくなったことの影響が出ないはずがありません。

愛が不足していると、植物も人間も枯れやすくなります。
最近私が疲れやすいのは、節子の愛を実感できないからかもしれません。
元気になったり、生気を失ったり、相変わらず安定しない状況を漂っています。
大切なのは「愛される」ことではなく「愛する」ことだとわかってはいるのですが、愛する気力もなかなか出てこないのです。

節子は3年前の今頃、私の愛に満たされていたでしょうか。
愛が足りなかったのではないか、そう思うと心が痛くなります。
もっと私の愛が強ければ節子は彼岸にはいかなかったのではないか。
そう思うと動けなくなる自分がいます。

まずは庭の草花への愛からやり直そうと思います。

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2010/08/07

■節子への挽歌1070:手賀沼の花火

手賀沼の花火でした。
節子との思い出が強烈過ぎて、花火好きの私もとても複雑な気持ちでこの季節を向かえます。

そもそも今の家に転居した理由の一つは、花火会場が目の前だったからです。
このことは前にも書きました、
闘病中の花火のことは思い出そうにも思い出せないほど、私には辛い日でした。
もちろん節子の辛さは、その比ではなかったのですが。

今年も私は誰にも声をかけませんでした。
しかし本当は人が来てくれたほうが心は落ち着くのです。
幸いに今年はジュンが結婚したので、義母とその娘、息子さんたちが来てくれました。
ジュンの連れ合いは仕事の関係で来られないのが残念ですが、来年はお店を閉めて来ると言ってくれています。
ユカの友だちも来てくれました。
私の兄夫婦も来てくれました。

来客がある時は張り切っておもてなしをする、それが節子の文化でした。
それは私の母の文化でもありました。
その文化はそれなりに伝わっていますので、昨日と今日は、私も娘たちと一緒に家の掃除から買い物まで分担しました。
もっとも最近、私は食べ物のおもてなしの文化にどうもなじめなくなってきてしまっているのです。
飽食の時代を生きるものとして、やはりその生き方に抗わなければいけないという、奇妙な思いが最近強くなっています。
だから湯島のオープンサロンも珈琲とクッキーだけにしてしまいましたし、参加者の持ち込みも歓迎しなくなっているのです。
つつましやかに飲食すれば、余った分は必ずどこかに回っていくはずです。
あまり論理的ではないのですが、まずはできるところから生き方を正していく、これも節子から学んだことです。

手賀沼花火は昨年は中止でしたので、2年ぶりでした。
来てくださった方たちはみんな喜んでくれました。

しかし、節子はいつもおもてなしに忙しく、ゆっくりとこの花火を見ることもなかったのではないか、そんなことを思うとやはり今年の花火も辛い花火ではありました。

いつか節子と2人だけで、お茶だけを飲みながら、屋上でゆっくりと花火を見たかったなあ、とつくづく思います。
今日はだれにも気づかれないように、節子の写真を屋上に置いておきました。
節子は花火を楽しんでくれたでしょうか。

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■なぜ女性たちは豊かな暮らしを捨てたのか

NHKの「ゲゲゲの女房」を見ているのですが、今日も近くの商店街の3人の女性チームが出ていました。
家の稼業をやりながら、地域のお世話をしたりしている、昔はよく見かけたおばさんたちです。
その人たちが出てくると、いつも、当時(昭和30~40年代)の社会は経済的・物質的には貧しかったかもしれないが、生活は豊かだったなと思います。
専業主婦も含めて、女性たちは豊かに過ごしていたような気がします。
それがなぜみんな企業からお金をもらって稼ぐことに向かいだしたのでしょうか。
私は、女性たちが騙されたのだと思っています。
同時にそれは、男性も騙されることでもあったのですが。

専業主婦が価値のないことであり、女性も経済的に自立し、自分の仕事を持つべきだ。などという言葉に惑わされた女性たちは愚かしいとしか言いようがありません。
女性の社会進出は、女性の社会から企業経済への囲い込みでしかないと私は思っていましたが、その延長にある男女共同参画社会とかいうものを目指す男性もどきの似非フェミニストたちが先頭にたって社会を壊してきたのです。
その結果が生まれたのが「少子化」発想です。
彼らには子どもなど要りません。
必要なのは労働力であり消費力なのですから、サルでもロボットでもいいのです。

子供という概念が発見されたのは、18世紀だといわれます。
エレン・ケイが「児童の世紀」を書いたのは1900年。そして20世紀は「児童の世紀」といわれたのです。
しかし、21世紀はどうでしょうか。
少子化論議が今のような形で行われている限り、子供には未来はないでしょう。
昨今多発している子供の不幸な事件は、少子化発想の延長でしかありません。
21世紀を改めて子供の世紀にしようと言う運動は世界的に広がっていますが、私にはかなり悲観的にうつります。
子供よりもペットを大事にするような人間を育ててきたのは、いうまでもありませんが、経済主義者です。

女性たちはそろそろ男たちの偏った世界へのコンプレックスから解放されなければいけません。
男性が企業でやっている仕事の実体に気づくべきです。
人は生きる上での働きは不可欠ですが、金稼ぎのための仕事は不可欠ではないのです。
その金稼ぎの世界で有名になった経済界や政界の活躍している女性たちの顔を思い出してください。
心と生活を売って社会を壊し続ける女性たちには嘔吐を感じます。

専業主婦がどれほど社会活動をしていたか、発想を変えればそれに気づくのではないかと思います。

久しぶりに時評を書いたせいか、ちょっと走りすぎてしまいました。
すみません。
私にも女性の友人知人がいますが、彼女たちに嫌われそうです。
困ったものです。

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2010/08/06

■節子への挽歌1069:節子との思い出はいつも断章的に浮かんできます

節子
久しぶりに市川智博さんが湯島に来ました。
節子もよく知っている市川覚峯さんの息子さんです。
節子と一緒に行った高野山で会った時にはまだ小学生でした。
節子は、それ以来、会っていませんが、とても素直な好青年に育っています。
彼と話しているうちに、節子といった高野山のことを思い出しました。

高野山で行を重ねてた市川覚峯さんが、21日の断食満行の日に私たちにぜひ来てほしいと連絡があったのです。
高野山の宿坊でとまり、翌朝早く、真っ暗なお堂で覚峯さんに護摩を焚いてもらいました。
あまりにも真っ暗で、お寺で泊まったことのなかった私にとっては怖いほどでした。

それから覚峯さんに案内してもらい、奥の院まで歩きました。
覚峯さんは、円の行者が天空を走り回ったように滑るように先導してくれました。
智博さんも一緒でした。
節子にもきっと心に残る体験だったでしょう。

節子の訃報を聞いた覚峯夫妻はすぐにわが家に来てくれ、枕経をあげてくれました。
しかし、覚峯さんに誰が訃報を伝えてくれたのでしょうか。
その日はそんなことを考える余裕もありませんでしたが、
今から思うと不思議なことがたくさんありました。

高野山に節子と行ったのは桜の時期だったような気がするのですが、なぜかあまり現実感がありません。
アルバムを見たら季節はわかるのでしょうが、高野山に限らず、節子との共通の体験は不思議なほどに現実感がなくなっていることが多いのです。
そのくせ、誰かに会ったり、何かに体験したりすると、断章的な思いでが浮かんでくるのです。

節子がいなくなってからの節子との思い出は、明らかに変化してきています。
バラバラになってしまっているように思います。
思い出を貫く時間軸がなくなってしまっているのかもしれません。
思い出すことはすべて断片的。
そのくせ、実に生々しく感傷的なのです。
そしていつも節子は笑いながら私に声をかけています。
声は感じられますが、内容は伝わってこないのも、不思議なのですが。
節子との思い出は、ほかの記憶とはまったく違っているような気がします。

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■需給が逼迫しているからこそ安く売る努力をする企業

最大6割引き!イトーヨーカ堂、野菜値下げ販売
大雨と猛暑の影響で野菜価格が高騰しているようですが、そうしたなかで、イトーヨーカ堂がこの週末、野菜約10品目を約2~6割引きで販売するという記事が今朝の読売新聞に出ていました。
とてもホッとできる話です。

最近の経済理論から言うと、需給関係によって商品の価格は決まるとされています。
供給が少なくなれば当然価格は高くなり、金持ちしか変えなくなっていきます。
これが今の経済学の市場理論です。
私はそうでない市場理論があると思っていますが、イトーヨーカ堂の行動は、それを示唆しています。

最近、話題のマイケル・サンデルの「これからの正義の話をしよう」も、その書き出しは、2004年に発生したフロリダのハリケーン被害の後に起こった物価高騰の是非の話です。
サンデルが引き合いに出している話と今回のイトーヨーカ堂の話は、もちろん種類の違う話です。
サンデルが例に出す被害を受けて生きるか死ぬかの状況にある人の弱みに付け込んだ値上げの是非の場合は、まさに倫理観になりますが、イトーヨーカ堂の行為は経済行為でしかないともいえます。
しかし、よく考えてみると、この2つは違っているようで通底しています。
それは、新しい市場理論の可能性を示唆しているという点です。

市場原理主義は最近少しなりをひそめていますが、市場論理は一つではないと考えるべきでしょう。
これまでの市場理論とは違った、市場理論があるのだろうと思います。
それは「正義」の話ではなく、「論理」の話です。

論理は金銭や数量だけで成り立つのではありません。
限られた資源を効果的に活かしていくという視点で市場論理を捉えれば、モノの需給関係だけが価格を決める市場理論は一つの各論でしかありません。

経済のパラダイムを見直していくべき時期ではないかと思います。

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■人のつながりを論ぜずに人とのつながりを大事にしてほしいです

長寿者と言われていた人たちの生存が確認されていなかったことがニュースになっていますが、それに伴って、また「無縁社会」や「つながりの不在」が言葉として大流行しています。
誰もがテレビでしたり顔で「つながりがなくなった」と語っているのを見ると大きな違和感を持ちます。
壊しているのはあなたたちだろうと言いたいのです。
壊しておいて、何をいまさらと言いたいですし、実際に自分たちの今の行動はどうなのかとも言いたいです。

無縁社会などという前に、まずは自分の周りの人との縁を見直してほしいです。
私は生まれてこの方、一度だけを除いて、縁を大切にしてきました。
もちろん今でもそうです。
完全と言うわけではありませんが、一度得た縁は私から断つことはありませんし、一度得た縁はいつも意識しています。
連絡がなければそれなりの行動もとっています。
そうやってそれぞれの人がまずは自分の周りの縁から大事にしていけば、無縁社会などと言われる状況は30年もしたらなくなるでしょう。
30年が長いなどと言う人は、行動しようという気のない人です。
何年かかろうが動き出さなければいけません。
動き出せば、30年が1年になるかもしれないのです。

テレビで無縁社会を嘆いている人たちの実際に行動はどうでしょうか。
忙しいなどと言っていては、縁はできようはずもないのです。
ともかく言葉と行動がつながっていない人が多すぎます。
社会を変えるのは、まず自分の行動を変えることです。

それにしても、いろいろと考えさせられることが多いです。
お金が絡んでくると遺族の人たちの本性も暴露されます。
人の生命よりもお金や記録が優先されている実態に、改めて社会の壊れを感じます。
最近のこの話題の報道は、どこかが間違っているように思います。

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2010/08/05

■節子への挽歌1068:心を失う季節

時評編に書いたのですが、「忙しい」と「暇」とは同じことだと気づきました
残念ながら、私はこの数週間、暇で忙しい状況に陥っていました。
そのためか、時評も挽歌もなかなか書けずにいました。

暇と忙しいがなぜ同じなのかと思う人もいるでしょうが、時評で書きましたが、いずれも「心がない状況」だからです。
私がこの数週間、特にこの数日、このブログを書けなかったのはおそらく「心が弱まっていた」からでしょう。
この季節、この暑さ、そして近くの手賀沼の花火大会。
そうしたことが私の心身を包み込むようにして、心を止めてしまっているのかもしれません。
トリガーは「花火大会」だったのかもしれません。

近くに住む挽歌の読者の方からメールが来ました。
彼女も昨年、夫を見送ったのです。
私はまだお目にかかったことはありません。

まもなく 手賀沼花火大会ですね 
毎夏 ご近所仲間と パーテイをしながら 花火を楽しみました 
昨年は中止で 内心ホッとしました 
私の気持を察して仲間たちは それぞれ行くところがあるから 花火パーテイは 今年もお休みね と気を遣ってくれました 
ありがたい仲間です
この文章を読んでハッと気がついたのです。
この季節は、私には心を失う季節なのだと。
暇で忙しかった理由がわかりました。
理由がわかれば、心は取り戻せます。
すべてではありませんが。

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■忙しいと暇は同じこと

しばらく時評を書けずにいましたが、なぜ書けなかったのか少し考えてみました。
大きな理由がわかりました。
暇だったからです。

最近、とても暇なのです。
湯島に来てくれた人に、最近暇で暇で仕方がない、と言うと、暇だなんて冗談でしょうといわれます。
しかし本当に暇なのです。
でも時間があるように思えませんが、としつこく食い下がる人もいます。
それで仕方なく、暇なのになぜか時間はないのですよね、と答えます。
そうすると、時間がないのは暇とは言わない、と教えてくれる人がいます。
そうかもしれません。
でも私の素直な気持ちには、「暇だなあ」、でも「時間がないなあ」という両方ともが間違いなくあるのです。
つまり、いずれもが私の素直な気持ちなのです。
でもみんなは時間がないから忙しい、だから暇だというのは嘘だと受け止めてしまいます。
私が嘘を言っていると思われては、いささか気分が落ち着きません。

そんなことを繰り返していたのですが、今日、突然にわかりました。
暇と忙しさは同じことなのです。
そう考えるとすべてはとても理解できます。

忙しいとは「心を失う」ことです。
つまり考える余裕もなく身体を動かしていないといけないということです。
私が一番嫌いなことです。
心を失って過ごす時間は、私には価値のない時間です。
生きているとはいえません。
忙しそうですねといわれるのは、私にとっては恥ずべきことなのです。
そして、忙しいと自ら言う人は、私は信頼しません。
心のない人を信頼できるはずはないからです。

暇とは「すき間の時間」です。
やることのない時間です。
言い方を替えれば、自由に使える時間ですから、その気になれば価値のある時間になりますが、そうしていないからこそ「暇」なのです。
「心を失っている」のと同じく「心を動かしていない」価値のない時間です。
そんな時間に安住する人は、やはり私は信頼できません。
つまり、暇であることと忙しいことは、要するに同じことなのです。

さて問題はここからです。
私が最も嫌いなはずの、暇な人、忙しい人に、自分自身が陥っているのです。
だから時評も書けず、挽歌もかけなかった。
そう気づいたわけです。

しかし、「忙しい」と「暇」とが同じだったとは、我ながら卓見です。
視点を少し変えると、あるいは基準を大きく変えると、物事は同じに見えたり、反対に見えたりするのです。
明日からまた社会に目を向けていきたいと思います。

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■節子への挽歌1067:佐藤工務店

続けて書きます。
みんなで作業したのは枝おろしだけではありません。
屋上のウッドデッキの防水塗装もみんなでしたのです。
昔を思い出すなといったら、ユカがベランダの塗装もしたね、といいました。
そうです。
なんと無謀なことにベランダの塗装まで家族4人でしたことがあるのです。
内装を家族でやるうちはあっても、外装までやる家族は少ないでしょう。
しかし節子はそういうのが好きでしたので、時々わが家はにわか工務店になったのです。

ベランダのペンキ塗りはかなり大変です。
脚立に乗ってベランダの裏塗りまでするのですから、かなりの重労働ですし、服装もすべてペンキだらけになります。
それに外ですから近所や道を通る人たちにもよく見えるのです。
さすがにこれは、その後だれももう1度やろうとは言いませんでした。

これに象徴されるように、わが家は生活上のことは出来るだけ自分たちでやるという文化だったのです。
お金を使いませんので、経済成長には寄与しませんが、家族の絆の成長には寄与します。
最近の言葉を使えば、ソーシャル・キャピタルの成長には寄与してきたのです。

こうした暮らしの延長に、今のわが家があります。
わが家の基本をつくってくれたのは節子です。
日常のとても小さなことのなかに、節子を思い出すことも少なくありません。
私の思いをとてもよく育ててくれた節子のおかげで、私は今なお節子に守られながら気持ちよく暮らせていけているのかもしれません。
お金がなくても、いやもしかしたら、ないほど、豊かな暮らしが実現できる可能性があると確信を持ち出したのは、間違いなく節子との暮らしの実践から生まれたのです。
この数年ほとんど収入がないのに、おそらく豊かな暮らしができているのは、節子のおかげなのです。

節子は山内一豊の妻と違って才媛には遠い存在でしたが、私には最高の知恵袋だったのです。

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■節子への挽歌1066:泰山

節子
この季節はどうも元気が出ません。
暑さのせいかと思っていましたが、どうも違うようです。
この季節は、私にはただ暑いだけではないのです。

今年の8月3日は節子の35回目の月命日でした。
月命日にはできるだけ在宅にしようとしているのですが、この日も在宅していました。
しかし、なぜか挽歌が書けませんでした。
節子を忘れていたわけではなく、思い出すほどに書けなくなることもあるのです。

実は挽歌だけではなく書けずにいたら、2年ぶりにある人から時評をやめるなというメールをもらいました。
実はそれに続いて、挽歌の読者からもメールをもらいました。
やはりまた書き続けようと思います。

3日の日はジュン夫婦が来ていました。
節子が元気だった頃植えた庭のミモザが伸びすぎたので切ることにしました。
それもバサッと途中から切ることにしたのです。
残念ながらミモザは途中から切るともう芽がでないようです。
それで躊躇していたのですが、最近、植物の生命力の凄さを体験し、やってみようという気になりました、
私の思いに応えてくれるかもしれません。
といっても大きな樹なので、まずは枝おろしです。
それでジュン夫婦にも手伝ってもらったのです。
そしてその後はみんなでいろいろと作業をしました。
節子がいた頃はよくあった風景です。
わが家は、なんでもみんなで作業する文化だったのです。
節子はいなくなりましたが、強力な新メンバーが参加してくれたので、作業はとても楽になりました。
ジュンのパートナーの峰行さんは、節子の文化にとても合うタイプなので、わが家の文化にも違和感なく融合しています。

終わった後、みんなで食事に行くことにしました。
選んだのは天王台にある泰山という庶民的な中華料理屋です。
節子のお気にいりのお店でした。
節子と一緒だった頃は、なぜか定席がありましたが、今回は全く別の席でした。
メンバーが変わると席も変わるものなのです。
しかし相変わらず節子の名前はよく飛び交いました。

節子の姿はどこに行っても今なお私には感じられるのです。
節子がいなくなってからの初めての泰山は、スタッフが変わっていましたが、味は同じでした。

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■時評を止めるなと激励されました

今朝、ブログをリンクしあっている方から2年ぶりのメールが来ました。

先日、時評をやめようかというブログの内容がありまして、心配になりつい、メールを書きました。
唐突なメール申し訳ございませんが、熱心な読者がおりますので、佐藤さんのブログを是非とも続けていただきたいと思ってメールをお送りいたします。
まさかこんな熱心な読者がいてくださるとは思ってもいませんでした。
ちなみに、この人のブログは私のとは大違いで、実にしっかりしたものです。
2年以上前になりますが、メールをいただき、ブログを相互リンクさせてもらいました。
実にうれしいメールです。

この1週間、時評を書けずにいます。
挽歌も実は書けなくなっています。
昨日と一昨日はついに何も書けませんでした。
忙しいわけではありません。
時間はあるのです。
厭世観はかなり強まっていますが、それでも人と会うと元気になります。
怒りは最近はあまり感じませんが、実は昨日もある市民活動をしている人と話していて、ついつい声を荒げてしまい、横にいる人からなだめられてしまいました。
最近流行の「正義論」には関心はあまりないのですが、私的な基準の「正義」に反する議論にはすぐ反応してしまい、顔色も口調も変わってしまうのです。
子どもの頃から、これだけは直りません。
心身が、あまり考えることなく反応してしまうのです。
人間としてはいたって未熟なのです。

月曜日に若者がやってきました。
佐藤さんのブログを読んでいると、生気がだんだん消えていきそうで心配でした、と別れ際に言いました。
生気が消えていく、確かにそうなのかもしれません。

うまくいけば、このまま静かに人生を終えられるかもしれません。
しかし、残念ながら、まだその時期ではないのです。
もうしばらくは生きるつもりです。
理由はたいしたことではないのですが、娘たちがいるからです。

やはりどうしても退嬰的な内容になってしまいますね。
少し前向きにと思って書き出したのですが。
困ったものです。

最近滅入ることが多すぎるのですが、自分が姪っては周りの人に元気を分け合えません。
まずは自分が元気になること。
気分を変えて、時評と挽歌を再開します。
たぶん、ですが。
いまはこれを書くのがやっとでした。

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2010/08/02

■節子への挽歌1065:男が見ている世界と女が見ている世界

節子
節子がいなくなってから、私には休みという概念がなくなりました。
一昨日書いたように、時が止まったのですから当然といえば当然のことなのですが。
でも一応、先週は夏休みにしようと思っていたのですが、なぜか先週はいろんな人から連絡があり、暑いなかを毎日都心に出てきていました。
今週こそは自宅でのんびりしたいものですが、どうなるかわかりません。

今日は先週約束していたのに、私が別用で延期してもらった若者の相談のために、湯島に出てきました。
その若者との約束は夕方なのですが、まあやることもないのでお昼過ぎに湯島に来ました。
こういう時に限って、誰からも連絡はなく、暇で仕方がありません。
それで久しぶりに湯島の掃除を始めました。

節子がいた時には節子が掃除をしてくれていましたから、私には掃除という概念がありません。
そのため、節子が来なくなってから4年近く、湯島のオフィスは掃除をしていないということです。
時々、来てくれた人が見るに見かねて掃除をしてくれているかもしれませんが(NPOの関係者に鍵もお渡しして使ってもらっているのです)、大きな掃除はできないでしょう。
一応、私が管理責任者ですから。
でも、その私が管理をしていないのです。
まあこう書くと、かなり汚れているオフィスと思われるかもしれませんが、そう不快感はないのです。
でもそれは私だけかもしれません。
今日はそう反省して掃除を始めました。
しかし30分もやったら飽きてしまいました。
やはり掃除は節子に頼みたいですね。
私には向いていません。

ところで、節子がいなくなってから来客に変化がありました。
コーヒーやお茶を飲んだ後、以前は節子が片付けて食器を洗ってくれていましたが、最近はお客さんがその役割を果たしてくれるのです。
これは驚きでした。
それも思ってもいない人が率先してやってくれるのです。
正確に言うと、やる人とやらない人がいますが、まさかと思うような人がやってくれるのです。
それは驚くべき発見です。

しかし、さらに面白いのは、施設管理責任者?の視点からはさまざまな発見があるのです。
節子はきっとこういう観察や体験のなかで、私の友人知人を正確に理解していたのだと最近わかってきました。
男が見ている世界と女が見ている世界はどうやら全く違っているのかもしれません。
節子が私の中に入ってきたおかげで、2つの世界が見え出してきたような気がします。

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2010/08/01

■節子への挽歌1064:宝物と雑草

節子
今日も暑い日でした。
今日はジュンも来ていたので、全員で庭の整理をしました。
節子がいた頃には時々あった風景です。
先月までの家の補修工事のおかげで、今年のわが家の庭は花がほとんどないのですが、少しずつ手入れをしながら回復させています。
枯れたと思っていたサツキに続いて、これも完全に枯れたと思っていた名前のわからない小さいな木にもよく見ないとわからないほどの若芽が出てきました。
パピルスも復活しだしています。
節子が大事にしていたバラのいくつかはダメかもしれませんが、復活しそうなバラも少なくありません。
地植えのバラが2種類、小さな花ですが、咲いているのに気づきました。
草木の手入れをしていると、節子の名前が飛び交います。
これは節子が好きだった花だとか、節子がどこそこで買ってきた花だとか、ともかくわが家の花の多くは、どこかで節子とつながっているのです。
節子は山野草も好きでしたので、いくつかあるのですが、その多くは私と一緒に行った箱根や長野で買ってきたもののはずです。
残念ながら私にはどれがどこで買ったものかはわかりませんが、それらの山野草を見ていると、節子が選んでいる風景を思い出します。
私は気にいったら気楽に買えばいいのにと思うのですが、節子はいつもとても慎重に厳選していました。
ですから、私が見たら雑草のようなものも、節子にはとても大切な宝物だったのです。
しかし、今やどれがどれかわからないまま、まさに雑草的な扱いになってしまっています、
まあ、宝物などというのはそんなものでしょう。
当事者にとっては大きな価値があっても、他者にはその価値は理解されないでしょう。
価値をわかってくれる人がいてこそ、はじめて宝物なのです。

「愛する人」も、そんなものなのかもしれません。
節子は私に出会えて幸せだったのです。
なにしろ、節子の価値を私ほど高く感じた人は、絶対にほかにはいないでしょう。
それだけは自信があります。
にもかかわらず、どうして「枯らして」しまったのか。
どこかに間違いがあるような気がしています。
それが、私の最大の悔いなのです。

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