■節子への挽歌1084:挽歌を書けない日
節子
昨日は時間がなくて挽歌が書けませんでした。
今日は時間があったのですが挽歌が書けませんでした。
2日つづけて抜けるのは避けたいので、書いておこうと思います。
昨日と一昨日、長野をバスで回りました。
節子と行ったバスツアーで見た風景と重なる風景を何回も見ました。
それがどうも挽歌を書く気力を萎えさせてしまったようです。
挽歌を書くことで、思いを発散させ、気を鎮めることが出来ます。
それが、私がこの挽歌を書き続けている一番の理由です。
しかし、書き出すといろいろなことが頭に浮かんできて、とまらなくなることがあります。
時に抜けられないほどの奈落へと引き込まれることもあるのです。
自分の不甲斐なさ、自分の愚かさ、自分の身勝手さが、身の置き所もないほどに重く圧しかかってくるのです。
たぶん経験したことのある人はわかってもらえるでしょう。
それを節子が望んでいない事は百も承知です。
しかしだからこそ、節子がいとおしく、自らに嫌悪を感じます。
そうした状況にはいるとおそろしいほどに気は萎えていきます。
昨日までの2日間は観光旅行ではなく、NPOが主催した真面目な視察旅行でした。
暑い中をハードなスケジュールをこなしてきたのです。
しかし長野をバスで回ると節子との思い出がどうしてもでてくるのです。
それが無意識に心身に積み重なったのでしょうか。
最後には夕陽まで出てきました。
きれいな夕陽だとみんなが声に出していました。
私には夕陽はまだタブーです。
挽歌を書き出したら崩れそうなほど、今朝は気が弱まっていました。
それが挽歌を書こうという気になれなかった理由です。
まあこういう日もあるのです。
1日を過ごして、少し気は鎮まりました。
挽歌を書いて気が鎮まる日もあれば、書かないで気が鎮まる日もある。
人は理屈では動かないものです。
明日は元気に目覚めたいと思います。
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