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2010/08/08

■節子への挽歌1071:生命には「愛」は不可欠

節子
暑さのせいもあって、最近、花が少なくなっています。
今日は盛期を終えた胡蝶蘭とオレンジのユリだけです。
吉田さんからの花基金もあるので、花は欠かせないのですが、夏は難しいです。

庭の花も今年はとても少ないのです。
庭の献花台の周りも、少し寂しい感じです。
いつもは見事に咲き続けているノウセンカズラも、家の補修で枝が折れてしまい、ほとんど花をつけませんでした。
今日、娘に言われて気がついたのですが、挽歌でも書いたことのある夜香木も枯れてしまったかもしれません。
節子が悲しむ顔が思い出され、祈るような気持ちで水をやりました。
被害甚大ですが、これから秋に向けて少しずつ節子の庭を回復していければと思っています。

しかし、節子がいなくなってから、庭の花木ももしかしたら私と同じように元気を失ってしまっていたのかもしれません。
生命力を失えば、悪条件には勝てません。
水が不足しただけでも枯れてしまうのです。
生命には「愛」は不可欠です。
植物は動物以上に愛に敏感に反応するような気がします。
毎日手入れしていた節子がいなくなったことの影響が出ないはずがありません。

愛が不足していると、植物も人間も枯れやすくなります。
最近私が疲れやすいのは、節子の愛を実感できないからかもしれません。
元気になったり、生気を失ったり、相変わらず安定しない状況を漂っています。
大切なのは「愛される」ことではなく「愛する」ことだとわかってはいるのですが、愛する気力もなかなか出てこないのです。

節子は3年前の今頃、私の愛に満たされていたでしょうか。
愛が足りなかったのではないか、そう思うと心が痛くなります。
もっと私の愛が強ければ節子は彼岸にはいかなかったのではないか。
そう思うと動けなくなる自分がいます。

まずは庭の草花への愛からやり直そうと思います。

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