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2010/08/05

■忙しいと暇は同じこと

しばらく時評を書けずにいましたが、なぜ書けなかったのか少し考えてみました。
大きな理由がわかりました。
暇だったからです。

最近、とても暇なのです。
湯島に来てくれた人に、最近暇で暇で仕方がない、と言うと、暇だなんて冗談でしょうといわれます。
しかし本当に暇なのです。
でも時間があるように思えませんが、としつこく食い下がる人もいます。
それで仕方なく、暇なのになぜか時間はないのですよね、と答えます。
そうすると、時間がないのは暇とは言わない、と教えてくれる人がいます。
そうかもしれません。
でも私の素直な気持ちには、「暇だなあ」、でも「時間がないなあ」という両方ともが間違いなくあるのです。
つまり、いずれもが私の素直な気持ちなのです。
でもみんなは時間がないから忙しい、だから暇だというのは嘘だと受け止めてしまいます。
私が嘘を言っていると思われては、いささか気分が落ち着きません。

そんなことを繰り返していたのですが、今日、突然にわかりました。
暇と忙しさは同じことなのです。
そう考えるとすべてはとても理解できます。

忙しいとは「心を失う」ことです。
つまり考える余裕もなく身体を動かしていないといけないということです。
私が一番嫌いなことです。
心を失って過ごす時間は、私には価値のない時間です。
生きているとはいえません。
忙しそうですねといわれるのは、私にとっては恥ずべきことなのです。
そして、忙しいと自ら言う人は、私は信頼しません。
心のない人を信頼できるはずはないからです。

暇とは「すき間の時間」です。
やることのない時間です。
言い方を替えれば、自由に使える時間ですから、その気になれば価値のある時間になりますが、そうしていないからこそ「暇」なのです。
「心を失っている」のと同じく「心を動かしていない」価値のない時間です。
そんな時間に安住する人は、やはり私は信頼できません。
つまり、暇であることと忙しいことは、要するに同じことなのです。

さて問題はここからです。
私が最も嫌いなはずの、暇な人、忙しい人に、自分自身が陥っているのです。
だから時評も書けず、挽歌もかけなかった。
そう気づいたわけです。

しかし、「忙しい」と「暇」とが同じだったとは、我ながら卓見です。
視点を少し変えると、あるいは基準を大きく変えると、物事は同じに見えたり、反対に見えたりするのです。
明日からまた社会に目を向けていきたいと思います。

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