■節子への挽歌1088:見えない存在
節子
相変わらずの暑さです。
そんななかを久しぶりに福岡のNさんが湯島に訪ねてきてくれました。
最後にお会いしてから間違いなく10年以上は経過しています。
そのNさんから突然連絡があったのは一月くらい前でした。
Nさんはスピリチュアルな感受性の強い方です。
といっても、実はある大手企業の社員だったのが社内起業制度を生かして、ご自分で起業したビジネスマンでもあります。
Nさんは入ってくるなり、私のブログを読んで、家族のあり方を考える契機になったと言ってくれました。
そしてご自身の姉妹の話を聞かせてくれました。
Nさんも、人のいのちと深く関わっているのです。
とても通ずるところがありました。
Nさんと霊界をつなげているのは「クモ」だそうです。
お姉さんの回復を13仏に祈っていたら、阿弥陀と観音と勢至のまさにその3体の前に3匹のクモが下りてきて、とまっていたというのです。
以来、何かとクモがメッセージをくれるのだそうです。
私たちの世界に張り出してきているのを感じるとNさんはいいます。
主語のない言葉ですが、とてもよくわかります。
世界は決して見えるものだけではないのです。
その、言葉にならない「何か」に私たちはあたたかく包まれているのです。
しかし、それはなかなか実感できません。
実感できれば、不安など消え去ってしまい平安になるのですが、小賢しさを身につけた私たちはなかなかそう確信できないのです。
それに、おかしな言い方になりますが、その「あたたかさ」は時に残酷なほどの試練を与えてもくれるのです。
久しぶりに会ったNさんとは心が通ずることがありました。
もしかしたら節子が呼び寄せてくれたのかもしれません。
最近、何か不思議なことがよく起こります。
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