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2010/08/29

■ホメオパシー騒動

昨日のホメオパシーの記事へのアクセスがどっと来ました。
このブログはせいぜい毎日300人前後のアクセスなのですが、時々、急増することがあるのです。
しかしまさかホメオパシーでこんなにアクセスが増えるとは思ってもいませんでした。
コメントもいくつかもらいましたが、それへの感想も書きました。

こういうブログをやっているとコメントを時々もらいますが、なかにはコメントだけを書いてその後、2度とアクセスしてこない人も少なくありません。
それに、実名でのコメントは少ないですし、アドレスさえ嘘のものも多いです。
私にはそうしたコメントはまったく無意味だと思いますので、原則としてそうしたコメントは掲載しませんが、まあ事情もあるでしょうから、掲載することもありますが、そうした人は先ず2度とアクセスはしてきません。
コメントした人の痕跡はある程度フォローできるようになっているのです。
匿名を使ってまでコメントしてくれる親切さには感謝しますが、言いっぱなしのやり方は残念です。

コメントやメールを読んでいて、私のメッセージがうまく表現されていないことも反省しました。
他の記事を読んでもらっている人は感じているかもしれませんが、私は「権威」や「権力」の暴力的行使に違和感をもっているのです。
個人としての立場で、物事を断定することには反論する気はありませんが、たとえば日本学術会議の組織の名を語って独断的意見を表明することに反発を感ずるのです。
ノーベル賞受賞が寄ってたかって、事業仕分けを批判したのも私には気に入りません。
批判があれば、個人の立場で言えばいいのです。
組織の中に隠れるのと匿名は、私には同じです。
そんな自信のない生き方はやめたほうがいいだろうにと同情します。

横道にそれましたが、私の違和感は、
「科学的な根拠は明確に否定」「荒唐無稽」
と言う表現です。
科学的な根拠というのも極めて曖昧なことですが、「明確に否定」という表現には驚きます。
これが現在の「学術」を代表する人の口からでてくるとは驚きです。
その根拠を、それこそ聞きたいですが、生命に関わる事象に関してこれほど明言できるのは神様しかいないでしょう。
恐ろしい話だと私は思います。

科学者が主張する科学的根拠で、私たちはどれほどの被害を受けてきたでしょう。
水俣病にしろ、公害にしろ、食品安全にしろ、それは枚挙に暇がありません。
今も私の周りで、その繰り返しが行われていないとはいえません。
科学者の主張する根拠はそう簡単に信じてはいけないというのが私の体験知です。

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