■言説の貧困化
言説の貧困化とは、「スキャンダラスでセンセーショナルで些細な事柄にもっぱら気を取られるようになること」だと、いま話題のマイケル・サンデルは言っています。
まさに日本の最近のマスコミの状況です。
今日は久しぶりにテレビの政治報道番組を見ましたが、相変わらずの状況で、見ていても元気が出てきません。
登場する政治家は最近かなり変わってきて、半年前までのタレント化した政治屋ではない、ビジョンや誠実さを持った政治家が少しずつ登場してきているように思いますが、キャスターやコメンテーターは相変わらずの「貧困な視野と発想」に安住しているので、なかなか建設的な議論にはなりません。
政治を浪費しているマスコミや学識者には腹立たしさを感じますが、それを見ている水伍している私たちが一番悪いのかもしれません。
しかしキャスターやコメンテーターや政治記者が、「国民は小沢さんが代表戦にでるのをまったく望んでいない」などと発言するのを聞くと(何回も聞きましたが)、本当にそうなのかと思います。
少なくとも私は小沢さんに首相をやってもらいたいと最近思い出しています。
首相が頻繁に変わるのはみっともないという意見にも疑問があります。
確かにみっともないとは思いますが、そんなことを言えるような状況ではないのです。
形にこだわっている段階ではもはやありません。
政治をダメにしているのは、いわゆる政治有識者だと私は考えていますが、せっかくテレビで政治番組を組むのであれば、そうした政界の寄生者たちなど除外して、対立ではなくお互いに知恵を出し合い、新しい政策を創発するような番組をつくってほしいものです。
一時期、新鮮に感じた報道ステーションの古館さんも、政治寄生者たちに洗脳されたのか、滑稽な役回りしかできなくなってしまったのは残念です。
マスコミには言説は不要だという人もいるでしょうが、貧困化した言説は、実は大きな言説と無縁ではありません。
格差社会とは、単に経済的な格差だけが問題なのではないというのは、サンデルの白熱授業にも出てきますが、言説においても明らかな二重構造が生まれているのです。
大きな言説のもとに。貧困化された言説を読み解くと、面白い実相が見えてくるような気がします。
そこには「産業のジレンマ」の構造が感じられさえします。
いささか極端にいえば、そこでは言説の反転が発生しているのです。
これは実に面白いテーマです。
それにしても、なぜこれほどに、テレビや新聞は、「スキャンダラスでセンセーショナルで些細な事柄」ばかりを執拗に報じるのでしょうか。
そこに働いている意図を読み解かねばいけません。
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