■節子への挽歌1090:庭に鳥の巣を発見しました
花や鳥になってちょいちょい戻ってくる。
節子はそう書きました。
その頃は、節子はあまり話せない状況だったのです。
震える手でノートに書いて、家族に見せたのです。
私たちにとっては、とても辛い思い出の一つです。
庭の木の枝に鳥の巣ができているのをユカが見つけました。
小さな木なのですが、少し伸び過ぎたので切ろうかと思っていた矢先の発見です。
すでにヒナが孵っており、親鳥がやってくるとくちばしだけが見えます。
写真を撮ろうとしてもなかなか成功しません。
またいい写真が撮れたら入れ替えます。
この鳥は節子でしょうか。
子連れでやってきたのが節子だとするといささかの問題が発生しますが、まあそれは大目に見ましょう。
庭の木、それも節子が好きだった山もみじの枝に鳥が巣を作ったのです。
まだ何の鳥か見極められていませんが、小さな鳥です。
節子が鳥になってと書いた時には、なぜ「鳥」なのか、私には不思議でした。
花や蝶と言ってほしかったのですが、なぜか鳥でした。
節子は大きな鳥は好きではありませんでした。
庭に小さな餌付け台があり、冬にはそこに果物などを置くのですが、大きな鳥がやってくると節子はむしろ追い払っていました。
スズメなどの小さな鳥が節子は好きでしたが、小さな鳥は大きな鳥に追われることが多かったからです。
節子はいつもスズメなどの小さな鳥を応援していました。
節子は私と同じく、弱いものを自分の仲間と思うタイプでした。
自らも弱い存在だったからですが、同時に弱さの価値も感じていたからです。
鳥も花も、もちろん人も、「強い人」より「弱い人」が好きでした。
もっとも「強い」と「弱い」は、往々にして外観とは正反対のことが多いのですが、そんなことは詮索することなく、ただ小さくて弱々しく見えるだけで、節子は素直に仲間になれたのです。
そうした節子の不思議な一面から私はさまざまなことを学びました。
ヒナが巣から飛び立つのはいつでしょうか。
それまではしばらく、節子かもしれない鳥たちに毎日会えるかもしれません。
もうじき節子の3年目の命日です。
今年は自宅でゆっくりと過ごすつもりです。
節子かもしれない鳥たちとともに。
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