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2010/08/14

■節子への挽歌1078:心があたたまる花束

節子
隣のMさんが立派な花束を届けてくれました。
受け取った娘に、「お母様にはとてもお世話になったのでお供えしてください」と言ってくれたそうです。
Mさんは昨年も一昨年も、立派な花束を供花してくださいました。
そして、いつも、「とてもお世話になったので」と言ってくださるのです。
もう3回忌も終わったのに、今年も立派な花束です。

節子は転居して2年ほどで発病しました。
発病後はあまり近隣との直接のお付き合いはなくなりました。
ですからMさんとの付き合いは決して長くはありません。
その上、Mさんは娘の世代に近いですから、付き合いも深かったわけではありません。
にもかかわらずMさんは毎年供花してくださいます。
そして、そのたびに私の脳裏に浮かぶ風景があります。

以前一度書きましたが、転居したての頃、帰宅したらMさんの小さなお子さんがわが家でちょこんと座っていた記憶があります。
Mさんのところが留守で鍵がかかっていて、帰宅した彼女が家に入れなかったのでわが家で休んでもらっていたのだそうです。
節子は「よけいなお世話」が好きだったのです。
まあ、私が子どもの頃はそんな風景はいくらでもありましたから、節子にとっても私にとっても、なんでもないことだったのですが、Mさんにはもしかしたら、そうしたことがうれしかったのかもしれません。

いまも節子には時々、花束が届きます。
こんなことを書くととても失礼なのですが、どんな花束よりも、私にはこのMさんの花束がうれしいです。
節子の、とてもあたたかな生き方を思い出させてくれるからです。
それになぜか毎年、その花束は、節子の雰囲気を感じさせてくれるのです。
あたたかくて、そのくせ時に辛らつで、でもあまりかしこくなく、ミスが多くて、でもいつも笑っていた節子。
その節子を思い出せる花束を見ているとやはり涙が出てきます。

私の脳裏に浮かぶ「ちょこんと座っていた女の子」もいまはもう大きくなってしまいました。
明日はお盆です。

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