■節子への挽歌1079:節子だけが帰宅したお盆
節子がせっかく此岸にもどってきたのに、暑いお盆でした。
お盆はそもそもは餓鬼道に落ちて苦しむ母親を救うために始まったといわれますが、最近では7代前までの祖先への思いを表すものになってきています。
といってもわが家の盆棚には節子しか居場所がありません。
節子の両親は滋賀の実家に、私の両親は兄の家に戻っているからです。
13日に迎え火でわが家に迎えたのも節子だけです。
お盆だけではなく、私が子どもの頃までの日本の行事の多くには世代をつなぐ時間軸がありました。
正月に始まる節句も、その基本は「家族」でした。
それがいつの間にか、「個人」単位へと変わっていきます。
祭がイベントになってしまってきたように、家族行事もまたイベント的になってきてしまったのかもしれません。
そういう動きに私はむしろ加担してきたような気がしますが、歳のせいか最近は逆に違和感を持ち出しています。
人は勝手なものです。
私の場合、7代先を思って話し合おうにも話す題材も話す相手もいません。
両親が戻っている兄の家にも行きましたが、どうもそういう話にはなりません。
どこかで私は生き方を間違っていたと、今日は痛感しました。
若い頃の私は、古来の伝統に否定的で反発していました。
いまはそのことをとても悔やんでいますが、その生き方を正してくれる節子はもういません。
それがとても残念です。
お盆は自らの生き方を問い直すいい機会なのかもしれません。
節子とそういう話ができないのがとても残念です。
節子がもう少し長く居てくれたら、私の生き方はもう少しまともになっていたと思うのですが。
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