■なぜみんな「お金を稼ぐこと」にこだわるのか
先週はいろいろな場面で「お金を稼ぐ必要性」に関する話がでました。
相手は70代から20代まで、世代もさまざまなら立場もさまざまな人たちです。
みんなどうして「お金を稼ぐこと」に、そんなにこだわっているのだろうと思います。
お金がないと不安なのです。
しかしお金があることで不安を感じている人も多いはずです。
私の知っている事例では、身寄りが少ないためもあって老後のためにとせっせとお金を貯めてきたところ、それが数億円になったら、逆にいろんな人が寄ってきたという話があります。
その人に寄ってきたのではなく、お金に寄ってきたのです。
お金があってもいいことなどありません。
それでもお金がなかったら不安だとみんな思うでしょう。
不安を増大することが経済発展の原点ですから、そうした不安感を蔓延させるのが、昨今の時代意識です。
そうしたなかでは、お金よりも人のつながりなどと言っても実際にはなかなかそう動く人はいません。
しかし考えてみてください。
友人がたくさんいる人が不幸になった事例を皆さんはご存知ですか。
友人が多いようでも、お金がなくなるとみんな離れていくという人もいます。
実際にそういうことを私も見ていますが、それは友人ではなく、お金の臭いに集まっていただけの話です。
私のところにも、以前はいろんな人が来ました。
それなりに活躍していた時期もありますので、お金のにおいがしたこともあるのでしょう。
しかし私と付き合っていても一銭の得にもならないと気づくと、ぷっつりと来なくなります。
そうした人の名前を後で新聞などで見ることもありますが、そういう人は成功しても何の連絡があるわけでもありません。
私が10年前から信条の一つにしている「金の切れ目が縁のはじまり」は、こうした私自身の体験から生まれたものです。
お金を稼ぐことへのこだわりは、ほんの一つの例でしかありません。
私たちは、いくつかのこだわり(固定観念)のもとで生きています。
それを改めて吟味する時期に来ています。
たとえば消費税は不可避だとか、介護を背負っていたのは女性だとか、環境保護のためにリサイクルしなければいけないとか、核抑止力は今なお有効だとか、NHKは公共放送だとか、地球温暖化は防がねばならないとか、ゆとり教育は学力低下につながるとか、農業は産業だとか・・・・。
まあ見直してみたら新しい発見もあるかもしれません。
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