■節子への挽歌1075:一番辛い時期が一番幸せなのかもしれません
昨日、言及したYHさんのメールには。その文章の前にこう書かれていました。
佐藤さんが 一年経ったころが一番辛かったと書いていらっしゃいましたが その通りですね 同年齢の楽しそうなご夫婦を目にすると 思わず ぼーとたたずんでしまいますそうなのです。
ただただ動けなくなる、そんな気分になることがあるのです。
私の場合、それは羨望でも嫉妬でもなく、ただただ悔いと自らへの怒りなのです。
そして、なぜ節子がとなりにいないのか、そんな思いが心身を凍らせます。
私の経験でいえば、節子を見送ってからしばらくは、周辺の風景は見えませんでした。
見えてきたのは半年くらい経ってからです。
そして、「同年齢の楽しそうなご夫婦」の姿も目に入ってきだしたのです。
「一年経ったころが一番辛かった」というのは、そういう意味です。
自分を取り戻し、節子がいなくなった世界と向き合わねばならなくなったのです。
ところがです。
自己防衛の本能が働くのでしょうか、私の場合は、そうした風景が次第にまた見えなくなってきました。
となりにいる節子の姿はもちろんまだ見えてはきませんが、「楽しそうなご夫婦」が不思議と私の視野からは消えています。
なぜでしょうか。
理由はわかりませんし、うまく説明はできません。
仲のよさそうなご夫妻に出会うことはもちろんあります。
しかし、不思議とそこに視線や思いが止まることはないのです。
言い換えれば、「楽しそうなご夫婦」を見ている自分がいないのです。
これは「意志」の問題ではなく、「心身の現実」です。
人の心身は個人の意識を超えていることを、節子がいなくなってから度々実感します。
ところで、YHさんは1年目、私は3年目です。
たしかに、YHさんには「一年経ったころが一番辛かった」と書きましたが、残念ながら、3年経ってもやはり辛さはそうは変わりません。
YHさん すみません。
しかし、人は辛さにも慣れるものです。
慣れたくはない、と思ってはいますが、慣れてしまう。
それがまた辛いわけです。
もしかしたら、一番辛い時期が一番幸せなのかもしれません。
そんな気がしてなりません。
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